2020年12月04日

VUCAの時代を楽しもう あなたとわたしの THINK BIG を束ねます

「ズラした先に見えるもの」 佐藤 琢磨
 今回の「VUCA時代を楽しもう」は,妙味あるテーマだ。「危機」を想起させるネガティブな言葉と「楽しもう」というポジティブな言葉が共存している。相反する二つの言葉で織りなされて,おおいに賛成だ。「見通しのつきにくい」と訳される「VUCA」だが,裏を返せば,先のことは誰にも分からないから,考えてみれば当たり前だ。
 物事はとらえ方が違えば,まったく異なる表層が浮かび上がってくる。要は,その人の考え方次第だ。時間は皆に等しく24時間だが,朝の1時間は昼間の数時間分に値するだろう。ジョギングをしながら英会話を聞けば時間を重ねて有効に使うことができる。とらえようによっては,24時間が26〜27時間分に値するかもしれない。「楽しもう」というキーワードには「視点をずらして見方を変える」という含みがあるように感じる。かける眼鏡により,景色は随分と変わる。今回のシンポで,様々な眼鏡を試してはいかがだろうか。

「水をさすようですが」 長堀 一之
 「自分が学生ならどう考えるか」、この視点がコロナ禍で各大学人にはあったのか? よしんばあったとして、それが「大学としての立場」「世間から責められないための防衛意識」「他大学を意識しての横並び意識」よりも上に来ていたのか? 本学には短大もある。次年度もオンラインが主となるようでは「何のために進学したのかわからない」と自分が学生なら思う。
 「コロナ禍だから仕方ないではないか」という意見は別の角度から見ると正しいのだろう。そんな中、『VUCAの時代を楽しもう』とのタイトルには若干違和感を感じている。批判ではない。いや、教職員なら思考を変えたり、決定プロセスを変えたり、「楽しむ」工夫はあるのだろう、まして、FMICSのメンバーであれば。でも学生はどうだ、コロナ禍で振り回され、保身に走る大学に嫌気がさしているのではないか? 「あなたとわたし」ではなく、「あなたとわたしと学生」について語るブレイクアウトセッションを行いたいと思う。

「コロナ禍の現在を考える」 平田 暁子
 緊急事態宣言発令の頃、連日、在宅勤務となった。「コロナ禍のなか、私にできることはStay Homeしかないんだ…」と、かなりのショックを受けた(今から考えると)。それまでは、仕事に誇りを持っていたのだ。そして、大学って、教育って何だろう?と考えるようにもなった。
 新型コロナにより、できなくなったこと、制限されたことは多すぎる。しかし、現地に足を運ばなくとも参加できるようになったFMICS月例会、研究会、学会などは地方者にとっては大変ありがたいことである。ZOOMにより、ディスプレイを通して、相手に会えて、会議もできる。
 個々においては、今の時間をどのように過ごすのか、で今後に差が出てくるはずである。今こそ、人を思いやる気持ち、できないことを嘆くより、どうしたら、できるか、前向きに考えることが重要になるものと思うのである。

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posted by fmics at 18:06 | TrackBack(0) | 巻頭言

「じゃまオジ」の矜持は「じゃまオジ」であり続けることだ!

 「じゃまオジ」これで裏巻頭言を書けという、相も変らぬ真義先生の無茶振り。どうやって話を繋げて行こうか…、思案しながら窓の外に目をやれば雀と目が合う。半端な田舎に居住する住民のあるあるな光景である。

 「じゃまオジ」何のことだか皆目見当もつかない読者も多いだろう。先日行われた例会ではとある年配の方が自虐的に(?)チャットに書き記したものである。個人的には洒落た表現で好きなのだが、例会中にはそこから話が膨らむことはなかった。

 「じゃまオジ」と聞いて、若者はどんなイメージを抱くだろうか。モードに追いつけない鈍感な人、追いつけないから仕事の足を引っ張りかねない人、仕事の足を引っ張ったことを叱責されて逆ギレする人…、こんなイメージを持つかもしれない。もしかしたら、おじさんにはない感性を持つ若者からは「かわいい〜」と言われるかもしれない。どう思われても仕方ない、どのイメージも中年以上の実態の一面を的確に表しているからだ。

 若者から見て、些か目障りに映る年長者はいつの時代にも存在していた。「じゃまオジ」とは全く違うニュアンスだろうが「頑固オヤジ」が最も近い表現だろう。逆に、年長者からは「今時の若者は…」なんて発言が太古から脈々と受け継がれてきた。こうした年長者と若者との間のギャップ(時代の認識の仕方とそれに対する対処の仕方の違いに代表できるだろう)は解消されることは決してなく、その意味で、我々は一歩も進歩していないと言えるのかもしれない。

 ある視点からカテゴリー化される事象に我々は「名前」を付けた。事象に名前を付けるのはそこに何らかの意味を付与する必要があるからである。それで行けば、ある視点でカテゴリー化された年長者を「じゃまオジ」と呼ぶのは、そうする必要があるからである。その必要とは何か? 世知辛い今の時流で行けば集団の中からやんわり排除する目的であろうか。ただ、悲しいかな、個人・組織にとって都合の悪いものを排除した世界が持続するわけがない。排除した残りの中から漏れなく邪魔者が生産されるからである。

 排除しようとしても排除し切れないし、仮に排除出来たところで時が経てば必ず生産される。しかも、今度は自分が排除される側に回るかもしれない(いや、必ず回る)。

 であるならば、「じゃまオジ」と自虐する暇があるのなら、その道を究めてしまうというのも面白い。自分が如何に「じゃまオジ」であるかを若者に見せる事で、若者が「じゃまオジ」になった際の在り様を教えるのである。「じゃまオジ」の矜持、ここに極まれり!

(中村 勝之)

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タグ:中村 勝之
posted by fmics at 18:04 | TrackBack(0) | 巻頭言

エプロン・ミシンの逆襲

 先日某クッキングスタジオの体験レッスンに参加、久しぶりにエプロンをつけたのがきっかけで目に留まった。日本経済新聞2020年11月26日「ヒットのクスリ(中村直文編集委員)」によると、アパレルのJUNが運営するブランド「サロン アダム エ ロペ」が、料理雑誌の「オレンジページ」やフィギュアスケーターの浅田真央さんとコラボしてエプロンを発売する。今秋、小学館のウェブマガジン「kufura(クフラ)」にエプロン特集があり、「料理をするとき、エプロンをつけますか?」とのアンケートに62.2%がつけないと回答。つけたり、つけなかったりが20.6%、そしてつけるが17.2%だった。つけない理由は「めんどくさい」「洗濯物が増える」「服が汚れても構わない」「そもそも持っていない」だった。一方で使う理由を聞くと「体形隠しになる」「携帯をポケットに入れられる」など市場再発掘の可能性も感じる。サロン アダム エ ロペによると、「外につけていけるファッション性もある。テレワークで自宅に長くいるので気持ちの切り替えにもつなげられる」という。実はエプロン、男性需要も増えているそうである。

 同様に市場が縮小していたミシンも需要が上向いている。最大手の蛇の目ミシン工業では1970年代に国内だけで年間50万台近くが売れ「一家に一台」といわれていたが、近年は20万台を割っていたという。ところが外出自粛や手作りマスクを作るための需要が発生。今年度は上期で既に昨年度の販売実績に並んでいる。同社は外出制限が終われば需要が落ちると見ていたが、巣ごもり生活は根付き好調を続けているという。5万円程度の
商品が売れ筋とのこと。

 エプロン、ミシンと昭和の「オワコン」が復権、近年不振が続く総合スーパーも回復傾向になる。代表格のイトーヨーカ堂にどんなオワコンが売れているかと聞くと「ミシンは昨年の2倍お売れ行き。他にはジグソーパズルが3倍、ボードゲームは2倍の伸び」と景気のいい話が返ってきた。ちなみにヨーカ堂はオワコンブームに乗り、創業100周年に合わせて「イトーヨーカドー限定 人生ゲーム」を12月1日から販売する。「1972年、ハトマークのロゴ誕生」などのマスをちりばめたのが特徴である。

 松屋銀座店では新・生活様式をうたい、「ぬか漬け」の道具と動画を扱う。コロナを機に様々なデジタルサービスが広がったが、生活を深堀りする消費者行動はアナログでも新市場を創造と位置づける。大学も「オワコン」から新しい業態、自己変革のときが来ていると感じた。

(宮本 輝)

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タグ:宮本 輝
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