2022年06月03日

先を見るために過去を振り返ってみようか

 本誌で本欄「裏巻頭言」を執筆し始めて丸3年が経過し、4年目に突入した。雑談めいた話から何らかのメッセージを盛り込む、言葉にするのは簡単だが、日常業務に埋没すると早晩書くネタが尽きてくる。毎号「何にしようか…」と微小な脳内をフル稼働させて考えるのが、ほぼ月末の恒例となっている。

 さて、4月からFMICS例会はポスト・コロナを素材に扱っており、先の教育現場を考えるようになった。そこで、今号では過去の本欄でコロナに関して私が記したことを振り返ってみよう。2020年5月の裏巻頭言の記述を(少々長いが)振りかえってみよう。タイミング的には最初の緊急事態が宣言され、ほぼ全ての教育機関がストップした時期であり、さまざまな意見が錯綜していた。その中で「9月に新学期を!」と言う主張に対する私見が以下のものである。

 「これまで遠隔授業を実際にやってみた実感としては対面授業と遠隔授業、両者で学力面での有意差は「確認されない」だろうと言う事である。遠隔でミニッツペーパーもどきの作成課題を学生に与えたのだが、それを実際に採点してみて、対面でやっても大差ないだろうと言うのがその感覚的根拠である。ちょっとした事であるが、ある程度の文量を書かせる課題において、資料等からそのまま抜き出すだけの物と自分なりに考えて自分の言葉で書こうとするのとでは雲泥の差がある。そして、自分の言葉で纏めようと苦闘する学生ほど追加情報に敏感である。おそらくだが、追加情報に敏感な学生は対面授業でも敏感に反応するはずである。変な話、鈍感な者は何をやっても鈍感なものである。少なくともボリュームゾーンにとって、遠隔授業による学力低下という悪影響を受ける事は少ないだろうから、これを理由に新学期を9月に移行した所で(学力で見た)状況の本質は変わらないだろうと言う事である。」

 私の担当科目についてはこの当時の予測が当てはまったと見ていいだろう。一方、平均的な学力面については微妙である。全般的に落ちたというより、コロナへの対応が迅速だった者とそうでなかった者との差が出た…こんな感じだろう。結局、いつの世も「先に走った者の勝ち」(経済学の言う創業者利得)なのである。無論、「少し後ろから追いかけたが勝ち!」(経済学の言う後発性利得)もアリなのであって、その辺りは強かに生きて行こう。

 で、同号の締めくくりにかけての記述も振り返る。

 「学期をずらす事は時間のタイミングをずらすだけの事だから、教科内容が不変である限り、9月新学期という制度変更は事の本質を大きく変えないだろう。むしろ、制度を定着させるまでに投入された有形無形のコストをその後の定着で回収できる保証はない。そして、このコスト増が大学経営を圧迫させる事は確実である。そう考える時、9月新学期説は大学大粛清の幕開けなのかもしれない。

 それを避けたいのなら、早急に(段階的にせよ)対面授業を復活させる方策を模索することである。これが私立学校の経営状況にとっても、教職員および学生のメンタルヘルスにとっても最善の方策である。」

 2022年度に入ってようやく本格的な対面授業が復活してきた。友達や先輩・後輩と直接触れ合える。そのために身綺麗にして…そういう心理作用があるだけで、マスク越しでも学生の表情が明るくなっているのが分かるし、キャンパスが華やかになる。

 キャンパスはこうでなくっちゃ…と思いながら遭遇したタヌキとにらめっこする私であった。

(中村 勝之)

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梅雨を蹴飛ばせ

 今年の5月は5月病になる暇もないくらい怒涛のごとく過ぎ去ったが、心の支えになったのは朝日新聞「多事奏論」近藤康太郎氏の「19歳のあなたへ 失敗する権利 人間にはある」(2月19日)「向かない会社に35年 いや、おもしろく働ける」(5月7日)であった。

 「19歳のあなたへ」は大学入学共通テストのカンニング問題で「ふみはずした」19歳のあなたに向けての励まし、そもそも大学入試の受験勉強に対して、勉強は何のためにするのかを問いかけている。そもそも勉強には終わりがなく一生続くもの、勉強は役に立つかどうかもわからない。勉強しない人間は、ちょっとばかり成功すると「自分は特別」と愚かにも思い込む。でも勉強する人は知っている。「人間なんて どっこいどっこいだ。」 取り巻きを1万人以上集めて花見をする権力者も、莫大な費用をかけて宇宙旅行する大金持ちもべつにえらくない。つまり、勉強するのは「人にやさしく」なるためなんです。野生のけものは失敗できない生き物です。逃げ方をしくじると、天敵に食われてしまいます。失敗は死に直結する。でも人間は一度過ちを犯しても、やり直せるんです。長い年月をかけて、そういう社会を、システムを築いてきたんです。それこそが人間の勉強の成果です。人間には失敗する権利がある(人間は失敗してもいいのです。やりなおせるのです)。もう一回頑張りましょうよ。

 「向かない会社に35年」は「19歳のあなたへ」を授業の教材に使った学校の生徒の感想から始まる。多感な中学生は舌鋒鋭い。「理科の化学式、数学の連立方程式だって将来使う場面があるのか疑問。国語の詩だって将来使いますかね」、「勉強とは大人になることといってるけど、大人になって良いこととか大人になってなにがいいのかわかりません」。誠実に答えると難しい問題だ。そして働くといえば、気になる記事を読んだ。今春の新入社員はコロナでオンライン生活に慣れきっている。だからリアルな会社や通勤が「しんどすぎ」なのだそうである。そもそも会社の与える仕事がおもしろくないのは、ふつうだ。他人に与えられたモノはつまらんものだ。会社内で新しい仕事を創る。また、会社に全体重を預けない。社外でも働くチャンスはある。かもしれない。そんなの分からない。試す。失敗しても死にやしない。ていうか、毎日24時間ずつ死んでいるんだ。働くのはおもしろい。いや、おもしろくできる。そして、人間は人生の大半を働いている。ということは、働くのをおもしろくできた人は、ハッピーな人だ。ハッピーな人が多い社会は、住みよい社会だ。

(宮本 輝)

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