資本主義システムは本源的に不安定なのか、それとも安定なのか? これまでR.F.ハロッドとR.M.ソローの議論を紹介した。これについては(あくまで理論上の話だが)ソローの主張に軍配が上がり、一応の決着を見た。ただ、この議論が展開されたのは1950年代、日本で復興需要に沸き立っていたのと同様の動きが世界各地に広がっていた時期である。力強く拡張する経済システムを眼前にして、内在する不安定要因に目が向かなかったという事情もあったかもしれない。
そんな中、1960年代になると議論の中心が経済システムの成長・変動からインフレに移行する。これは各国のインフレ率が高めで推移していた事情もあるが、インフレを放置すれば金を軸にした固定相場制度が崩壊する恐れがあった事情もある。この議論の中心は、人々が将来のインフレ率をどのように考え、それにもとづき現在どんな行動をとるのかという点にあった。いわゆる「インフレ予想」の話である。
その際、3つのインフレ予想の考え方が提示されたが、その主要なものが「合理的期待」である。これは現在入手可能な将来にかかわるあらゆる情報を集め、結果としてインフレ率がどのようになるかを計算し、それと現在のインフレ率を比較して行動を決める。的確な例を挙げるのは少々難しいが、ここで想定される人間像はアクティブラーニングで理想とされるそれである。インフレ予想というテーマについて必要な情報を子どもたちに集めさせ計算させる。教師はそれを支援する。実に美しいアクティブラーニングの姿がそこにある。
しかし、厄介な問題が出現する。それは、人々が合理的期待にもとづいてインフレ予測を行い、それを踏まえて現在の行動を選択すると、実現するインフレ率が無限大にまで行ってしまうのである。これを「発散」という。人々がスマート(ここでいう合理的期待)に行動すれば穏やかな結果が実現しそうだが、あらぬ方向に行ってしまう。無論、際限なく上昇する価格をシステム全体が吸収できれば問題ないが、それが未来永劫まで持続可能か? なかなか悩ましい帰結である。
SDGsなる合理的目標に向かって進むほど経済システムが崩壊するという、最悪の結果が招来しないことを祈るばかりである。
(中村 勝之)

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