2020年05月07日

遠隔授業で学力は下がるから9月新学期説?

 突如として湧き出た話、9月新学期。新型コロナの影響で、9月新学期に制度移行するのは、時間と資源とエネルギーの無駄である。

 恐らく若い人達には分からないだろう。通年授業が普通だった大学業界において「セメスター制」革命が吹き荒れたのは1990年代終盤。これとてその本質は「諸外国が…」という同調圧力に過ぎなかったのだが、それが「短期間で集中的に学修した方が…」という美辞麗句にほだされて今や普通のカリキュラム・システムになっている。一部の大学で実施されている「クォータ制」も事の本質は同じである。その反面、カリキュラム・システムの変更が学ぶ者の学力にどう影響するのか、この点について体系的に調査・研究された事実は、皆無に等しいと言っていいだろう。何でもそうだが、大幅なシステム変更を画策するのであれば、そのことによって分析対象が大幅に良化することを証明しなければならない。9月新学期を本気で検討するなら、コロナ対応とは別の基準で検討する必要がある。

 前置きが長くなったが、今般の事情で遠隔授業を中心に行われるようになった。事情が事情だけに仕方ない部分はある反面、これまで遠隔授業を実際にやってみた実感としては対面授業と遠隔授業、両者で学力面での有意差は「確認されない」だろうということである。遠隔でミニッツペーパーもどきの作成課題を学生に与えたのだが、それを実際に採点してみて、対面でやっても大差ないだろうというのがその感覚的根拠である。ちょっとしたことであるが、ある程度の文量を書かせる課題において、資料等からそのまま抜き出すだけのものと自分なりに考えて自分の言葉で書こうとするのとでは雲泥の差がある。そして、自分の言葉でまとめようと苦闘する学生ほど追加情報に敏感である。おそらくだが、追加情報に敏感な学生は対面授業でも敏感に反応する。鈍感な者は何をやっても鈍感なものである。少なくともボリュームゾーンにとって、遠隔授業による学力低下という悪影響を受けることは少ないだろうから、これを理由に新学期を9月に移行したところで(学力で見た)状況の本質は変わらないだろう。

 無論、反論もあるだろう。そのいい例として、アクティブラーニングで学力が上がったという事例報告は数多あるが、そのほぼ全てが偏差値の高い所謂上位校の為せる業であるという事実はあまり知られていない。それを真似た所で意味は皆無、われわれが中心に据えるボリュームゾーンの若者には有効に機能しないだろう。

 学期をずらすことは時間のタイミングをずらすだけのことだから、教科内容が不変である限り、9月新学期という制度変更は事の本質を大きく変えないだろう。むしろ、制度を定着させるまでに投入された有形無形のコストをその後の定着で回収できる保証はない。このコスト増が大学経営を圧迫させる事になる。そう考えるとき、9月新学期説は大学大粛清の幕開けなのかもしれない。

 それを避けたいのなら、早急に(段階的にせよ)対面授業を復活させる方策を模索することである。これが私立学校の経営状況にとっても、教職員および学生のメンタルヘルスにとっても最善の方策である。

(中村 勝之)

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タグ:中村 勝之
posted by fmics at 18:04 | TrackBack(0) | 巻頭言
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