2020年06月10日

日本にとって最強の「戦略物資」は何か?

 今般の事情からか、世界史上の感染症に関する書籍が売れているようだ(かく言う私も、既に何冊も買い込んでいる)。

 一方、去る5月23日にオンラインで行われた例会で登壇者が半導体に関わる生産やシステムが国家にとっての「戦略物資」となっている状況を、驚きをもって語っておられた。それに思わず噛みついてしまったのだが、地域間交流という名のグローバル化が当然の中にあって、どういう部分に国家としての強みを見出していくのか? それは国家戦略として当然のことであるし、経済学者間で珍しくコンセンサスが成立している部分でもある。

 地域間での物流をするにあたって、どうすればwin-winな関係となるのか? 双方で競合しうるモノを流通させるのであれば双方で排撃運動が起こる(アメリカと中国との「貿易摩擦」が記憶に新しいところ)し、排撃が起こらなくても双方の市場機能(≒消費者の購買行動)によって優劣がやがて定まる。そうすると、単純な発想としては、双方の弱点を補完するようなモノの流通が実現すればいいのではないか? 逆から見れば、双方にとって(強化した方がいい)強みはどこかを明らかにできればいいのではないか? そうだとすると、強みや弱みを判断する基準は何か? それが「比較優位」という考え方である。これは自国(あるいは自地域)内にある産業のうち、どれが低コストで生産できるかで判断される。思わず「外国と比較しなくていいのか!?」と言いたくなるが、そうではないということをイギリスのリカードという経済学者がエレガントに証明した。人は本源的に居住する地域の自然的条件とその中で脈々と受け継がれてきた生活様式を与えられたものとして今の行動を決めている。そして、その形は地域によってさまざまだろいうのは容易に想像がつく。つまり、自然的条件と生活様式(≒歴史的条件)が全く同一な複数の国を見出すのは無理なのであって、その意味において、地域間の物流という観点から他国と比較することに意味がないのである。そう考えるとき、IT産業の立ち遅れを挽回する「国家戦略上」の目的で小学校においてプログラミング教育を導入している姿は滑稽に映ってしまう。

 比較優位は居住する地域の自然的・歴史的条件から滲み出てくる、他国との比較が不可能な概念である。であるならば、日本独自のオリジナルなものは何か?これこそが、日本にとっての最強の「戦略物資」である。

「じゃあ、その最強の『戦略物資』とは具体的に何だ!?」
「さぁ、『今月の本』を読んだらヒントが掴めるんじゃない?」
「そんな無責任な!」
「偉大なる無責任的存在が大学教員さ」

(中村 勝之)

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タグ:中村 勝之
posted by fmics at 18:04 | TrackBack(0) | 巻頭言
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