2020年09月16日

FMICS流行語大賞ノミネート作品紹介?

アリ社会(コロニー)の詳細の観察から、いわゆる2:6:2の法則や2:8の法則等が主張され、同じ社会的生物である我々に対しても似た分類が適応できるとの主張がある。アリと違って人間は社会全体を対象にした実験が本質的にできないので、我々を2:6:2なり2:8に分類する科学的根拠は乏しい面はある。だが、個々のつたない人生経験を通じて、2:6:2なり2:8という分類はあながち間違っていないという実感があるのも確かである。

 複数の人間の集まるおよそあらゆる組織において、アグレッシブに活動している訳ではないが現実逃避をしている訳でもない階層が存在し、彼らが人間社会の主要層を占めるのはほぼ間違いなく、教育現場における諸課題の大半がこの主要層に関する事項なのもほぼ間違いない。ここでいう主要層を先月例会の文脈に即して「真ん中」と呼ぶが、しかしながら、それが必ず「悲劇」的状況を招く訳ではない。期せずして私の発した「真ん中の悲劇」という言葉が表題の如く今年のFMICS流行語大賞の有力候補になってしまったが、私としてはそこまで汎用性のある表現だと思っていない。その事をここで明らかにしようと思う。

 教育機関をあたかも人間の如く捉え、そこの偏差値、研究成果の認知度、教育実践の充実度等をトータルな「ブランド力」と表現するならば、その力の相違を通じて、各教育機関を2:6:2に大体分類する事ができる。ここで問題になるのは「真ん中」の6であるが、「真ん中」のうちどのpositionにいるのかで状況は相当異なるのは言うまでもない。以下は、大学を念頭に話を進めていく。

 たとえば、「上の2」の境界付近にいる「真ん中」は上の間隙を突こうと虎視眈々と狙っているはずである。間隙が容易に見出せないようであれば無理矢理にでもこじ開けようとするだろう。ただ、そのenergyは組織を構成する教職員・学生から湧き出るものではなく、組織の中で権力や財源を握る層に依存するケースが多いかもしれない。無論、間隙を突くenergyの源泉の1つには、放置すれば今あるpositionから没落してしまう事に対
する「恐れ」があるかもしれない。一方、「下の2」の境界付近にいる「真ん中」は今あるpositionから没落する可能性に対する「恐れ」が相当あるかもしれない。「下の2」の境界付近にある「真ん中」は総じて財政力に乏しい組織が多く、没落はそのまま組織解体につながりかねない。その意味では、最低限今のpositionを維持するためのenergyは組織全体に共有されやすい環境であるのかもしれない。

 ここで重要なことは、組織において強烈な「危機感」が存在するかどうかである。財政力のある大学ではそれこそ「危機意識」と「権力」をかざすことで、ともすれば怠惰な教員を(強制的に)動員することができるし、「危機感」を共有する教職員を集約することもできる。財政力の乏しい大学では没落することの「危機感」が怠惰な教員をも勤勉に変える。こう考えるとき、「上の2」から一定の距離がありつつも「下の2」からも一定の距離のある「真」の「真ん中」に位置する大学には「危機感」が希薄になる傾向にあるのは容易に想像つく。今のpositionを上げようとenergyを投入したところで分厚い壁の前に、そのenergyは持続しない傾向にある。これは上を目指す受験生がそれなりに流入する「ポタポタ効果」の恩恵を享受することでも強化される。この「ポタポタ効果」を享受できる限り、(表現は申し訳ないが)下層受験生の「上澄み」を排除することもできてしまう。変な話、「真の真ん中」の大学は各所で公表される『ランキング』の欄外にいるケースがあるが、それが却って「ポタポタ効果」を誘発し、組織変革へのenergyを削ぐ方向に作用してしまうのである。

 つまり、表題にある「真ん中の悲劇」とは、そのpositioningによって組織変革へのenergyが削がれることがもたらす帰結のことを指すのである。無論、例外はいくらでも指摘することができよう。しかし、組織変革のenergyに乏しい集団にありがちな傾向は、ほぼ共通していると思われる。
  • 些細なことでも組織決定を経なければならないという先入観がはびこっている。別言すれば、教職員が裁量的に動こうとしてもそれを許さない雰囲気が組織に蔓延している。

  • 権力者の周囲には彼らの意に沿った人間しか配置していない。あるいは、権力者の周りに有能な部下が誰もいない。別言すれば、「隙・嫌い」を通じた人員配置が常態化している。

  • 組織変革を叫ぶ言葉が空虚であり、具体化や実行の可能性を含んだ内容になっていない。あるいは、組織変革に際していたずらにリスクを振りかざす。別言すれば、会議において「空中戦」に始終していて、それでenergyを使い果たしている。この辺りは私の大嫌いな経営理論(多摩大学の小西先生、ごめんなさい!)の教科書レベルの内容だろうが、大事なことは関係者の目線が「内向き」になっていることである。

 教職員の目線が内向き傾向である限り、そこで育つ若者の目線も内向き傾向きにならざるを得ない。それを何とも思わないくらい麻痺した教育組織、そういう所に「悲劇」は襲ってくるものである。

(中村 勝之)

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タグ:中村 勝之
posted by fmics at 18:04 | TrackBack(0) | 巻頭言
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