今回の「VUCA時代を楽しもう」は,妙味あるテーマだ。「危機」を想起させるネガティブな言葉と「楽しもう」というポジティブな言葉が共存している。相反する二つの言葉で織りなされて,おおいに賛成だ。「見通しのつきにくい」と訳される「VUCA」だが,裏を返せば,先のことは誰にも分からないから,考えてみれば当たり前だ。
物事はとらえ方が違えば,まったく異なる表層が浮かび上がってくる。要は,その人の考え方次第だ。時間は皆に等しく24時間だが,朝の1時間は昼間の数時間分に値するだろう。ジョギングをしながら英会話を聞けば時間を重ねて有効に使うことができる。とらえようによっては,24時間が26〜27時間分に値するかもしれない。「楽しもう」というキーワードには「視点をずらして見方を変える」という含みがあるように感じる。かける眼鏡により,景色は随分と変わる。今回のシンポで,様々な眼鏡を試してはいかがだろうか。
「水をさすようですが」 長堀 一之
「自分が学生ならどう考えるか」、この視点がコロナ禍で各大学人にはあったのか? よしんばあったとして、それが「大学としての立場」「世間から責められないための防衛意識」「他大学を意識しての横並び意識」よりも上に来ていたのか? 本学には短大もある。次年度もオンラインが主となるようでは「何のために進学したのかわからない」と自分が学生なら思う。
「コロナ禍だから仕方ないではないか」という意見は別の角度から見ると正しいのだろう。そんな中、『VUCAの時代を楽しもう』とのタイトルには若干違和感を感じている。批判ではない。いや、教職員なら思考を変えたり、決定プロセスを変えたり、「楽しむ」工夫はあるのだろう、まして、FMICSのメンバーであれば。でも学生はどうだ、コロナ禍で振り回され、保身に走る大学に嫌気がさしているのではないか? 「あなたとわたし」ではなく、「あなたとわたしと学生」について語るブレイクアウトセッションを行いたいと思う。
「コロナ禍の現在を考える」 平田 暁子
緊急事態宣言発令の頃、連日、在宅勤務となった。「コロナ禍のなか、私にできることはStay Homeしかないんだ…」と、かなりのショックを受けた(今から考えると)。それまでは、仕事に誇りを持っていたのだ。そして、大学って、教育って何だろう?と考えるようにもなった。
新型コロナにより、できなくなったこと、制限されたことは多すぎる。しかし、現地に足を運ばなくとも参加できるようになったFMICS月例会、研究会、学会などは地方者にとっては大変ありがたいことである。ZOOMにより、ディスプレイを通して、相手に会えて、会議もできる。
個々においては、今の時間をどのように過ごすのか、で今後に差が出てくるはずである。今こそ、人を思いやる気持ち、できないことを嘆くより、どうしたら、できるか、前向きに考えることが重要になるものと思うのである。

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