2021年01月14日

「競技は先生」ともに学び楽しむ

 年末年始は自宅で巣ごもり生活、年始のスポーツはテレビ越しに応援しながら日本経済新聞「SPORTデモクラシー」(2020年11月1日)での安田秀一氏の記事を振り返った。

 アルペンスキーの皆川賢太郎さん、競泳の松田丈志さんと「子どもたちへのスポーツの指導法」の話題で盛り上がったとのこと。日本ではなぜ最初にバタ足ばっかりで苦しい思いをさせるのか、水泳嫌いになるという問いに松田氏は「そこは僕にも分からないが、まず苦労してそこからはい上がってこいよ、っていう日本あるあるじゃないですか。」そして米国では背泳ぎから入ることを教えてくれた。「顔を水につけないで水に慣れさせること。それから浮く感覚を身につけて楽しく泳がせるんです」。皆川さんも苦笑しながら「本当に日本あるあるですよね。米国ではブーツは大人が履かせてくれて、少しスキーに慣れさせたらすぐにリフト乗って、滑る楽しさを体験させます」。

 「スポーツ」は英語の名詞。「PLAY」(遊ぶ)という意味の動詞を用いて文章となる。つまり「楽しむ」ことを目的とした活動がスポーツ。しかし日本では楽しむどころか苦労を伴う「修行」になってしまう。スポーツは教育ではない。リーダーシップや協調性、戦略的思考など多くのことをスポーツを通じて学べるが、それはスポーツの目的ではなく副産物である。それを手にするためには、どんな競技でも最初は「楽しい」という「きっかけ」が不可欠である。

 安田氏は28歳の頃、アメリカンフットボールの「NFLヨーロッパ」のチームにコーチとして帯同する幸運に恵まれた。そのときに出会ったあるベテランコーチの言葉が今も忘れられないという。いつも穏やかで声を荒げることなどなく、ニコニコしている人。そのコーチに質問をした。「なぜ叱ったりしないのですか?」彼はこんな話をしてくれた。「私も選手も“フットボールという先生”から共に学んでいる生徒なんだ。マネジャーも、ビデオ係もトレーナーも、君も、僕も、役割が違うだけで、みんな生徒なんだ。上も下もない。僕は40年以上コーチをしているけど、今でもフットボール先生から学ぶことばっかりだよ。こんな年になっても成長させてもらえるなんて、最高の仕事だろ」。

 この教えに安田氏は心の底から共感した。これこそスポーツの真の価値だと感じた。それぞれの立場でスポーツから学び、みんながそれぞれの成長を楽しむ。失敗も敗北も学びであり、学びは成長につながり、成長は喜びをつくり出す。会社では「仕事が先生」、子育てでは「いい人生が先生」である。スポーツの指導現場は、その意味ではとても分かりやすく、身近な実践の場になるのではないか。「スポーツが先生」で、監督もコーチも選手も父母も、みんなそこで学ぶ生徒。成長という「喜びの果実」を手に入れる方法をみんなで考え、みんなで勝ち取っていく。それこそが「スポーツの醍醐味」だと思うと締めくくった。

(宮本 輝)

にほんブログ村 教育ブログ 大学教育へ
posted by fmics at 18:02 | TrackBack(0) | 月例会
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/188393535
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック