2022年05月06日

リーダーなんて、やるもんじゃぁないな

「捨てる神あれば拾う神あり」と言うべきか、「貧乏暇なし」と言うべきか。

 誰もやりたがらない仕事の1つに一段落ついてホッとしていたら、縁あって、某体育会系クラブの部長に就任する事になった。どうせお飾りだから…と何も考えずに部長就任を受託した途端、来るわ来るわ、色んな仕事が降ってくる。その中で一番の驚きは、試合に帯同するのも(観客席から)応援する程度だと思っていたら何故かベンチ入りメンバー。何故か円陣の中心に私がいる。スポーツ観戦自体は割とする方だが、プレイしたことなどない競技。そんな中で試合の前後に声掛けする。監督からは「試合にはそこまで来なくて良いから…」等と言われて安心していたのだが、(立場上というのもあるが)選手とてやはり学生。学生の傍で彼らの事を感じて痛い…そう思うようになって、ほぼ毎試合ベンチに入っている。

 プロスポーツでもそうだが、選手のプレイ面での責任者は監督・コーチ・トレイナーになるが、集団としての責任者は現場から少し離れた所に位置する人間が担当する。その方が組織としては上手く運営できるからである。それでつくづく思うのが、「リーダーはどんな人材が担うべきか?」という事である。学生の扱いと言う点においては私とて経験を通じて一家言は持っている。ただしそれは学生の学習面が主要領域であって、それ以外では皆目見当がつかない。それ以上に、運動をメインにした学生の面倒なんて見た事がない。サポート役なら何とかなりそうだが、部長である。クラブという組織の責任者の立場である。恐らくだが、何らかの意味でのリーダー的役割を私が担わなければならない訳だ。そこで上記文言が頭をもたげるのだ。

 私は比較的若いときからリーダー的役割を担う位置に立つことが多かった。そんな中で、私の中で割と納得できる結果を得た組織というのには共通点がある。それは私より有能な人材が私の傍にいたときである。そりゃそうだ、私は全能ではない。寧ろ苦手とする分野の方が多い。それでもリーダー的役割を全うできるのは周囲に優秀な人材がいるからに他ならない。それが自覚できているからだろう、周囲に対する尊敬の念は自然に湧くし、感謝の言葉も自然に出てくる。周囲に評価される成果が出たとしても私の手柄と喧伝する事はない。周囲の手柄なのだから。

 無論、私の経験を一般化するつもりは毛頭ないが、少なくとも一般的にイメージされる強力なリーダーシップやカリスマ性はリーダーの資質として相応しくないと個人的に思っている。「リーダーになりたい」という人がいるとしたら、「自分よりも賢い人間を傍に置け!」と伝えたい。そっちの方が風通しのいい組織ができるはずだ。

(中村 勝之)

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タグ:中村 勝之
posted by fmics at 18:04 | TrackBack(0) | 巻頭言
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