某小説で、未来の学校は、教室には通うが、生徒は個々の机の端末でeラーニング教材に取り組み、教員は、座学授業などは行わず演習授業などで生徒の理解度を確認し指導する授業に専念するという。教育を希望する生徒の数に比して、教鞭をとれる教員が少ないから、という小説の設定からだが、現在の教員の“なり手不足”による教員不足、従来に比べ多様な生徒・学生を教えなくてはならない教育現場を考えると、ある程度までの教育の大部分は、eラーニング教材による一人ひとりに適した学習として「基礎・基本」を効率よく学ぶように置き換え、教員は教員にしか指導できない演習、実験、実技などの授業や探求学習などに特化するというような近未来もあるのかもしれない。
一方、10月22日の読売新聞の朝刊に、再考デジタル教育『教科書「紙」に回帰』との大見出しで、IT先進国のスウェーデンの報告が掲載された。2006年には、学習用端末の「1人1台」配備が始まり、教科書を含めデジタル教材への移行が進んだが、昨年、学習への悪影響があるとして、紙の教科書や手書きを重視する「脱デジタル」に大きく舵を切った。端末使用前提の授業だと、子どもたちの集中力が続かない、考えが深まらない、長文の読み書きができない等の弊害が大きかった。今は端末を「効果的な場面」でだけ、月に計1時間程度使うのみに変わり、「紙の教科書や鉛筆を使う時間を増やしてから、集中力や考える力が伸びた」という。科学的な検証に基づく大きな政策転換で、先進国に周回遅れで学習用端末の「1人1台」配備を進めている日本にも、「このまま進めていいの?」と決して無視できない内容である。
日本は、人口減少のスパイラルに入り、右肩上がりの成長や現状維持も霧散し、ダウンサイジングや省力化などを行った上で、どうSDGsでいう「持続可能な世界」に落ち着けるか、大きな分岐点に直面している。確かにICTやネットリテラシー、AI等の基礎知識の修得はさらに必須になってくるが、一方それらに使われず使いこなすため、また人としての成長に必要な人間力を支える「集中力や考える力」を育成することに、大きく舵を切る時が来ているのではないか。英語よりも日本語ができる、ICT活用よりも失われつつある「集中力や考える力」を身に付けるほうが重要だと思います。
(金成 泰宏)

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