2026年01月14日

55歳からの冒険

 先日、墓参りの帰りに、千葉県香取市にある佐原に立ち寄った。北総の小江戸と言われる町並みを散策する途中で「伊能忠敬記念館」を訪れた。ご存知のように、伊能忠敬は、日本全国を統一の基準で測量を行い、初の日本全図作製に貢献した人物である。

 忠敬は17歳で、名主の農家に婿入りし、酒造業や水運業で成功して財を成した。49歳で隠居した後、かねてより興味のあった天文・暦学を学ぶため50歳で江戸に出て、幕府の天文方(天体観測および暦を担当する役職)を務めた高橋至時に師事した。至時は、より正確な暦を作ろうとしていたが、そのためには地球の大きさや各地の緯度と経度を知る必要があった。緯度1度の正確な距離がわかれば地球の大きさを計算できるが、当時の緯度1度は不確かだったという。そこで、忠敬は、深川の自宅と浅草までの距離を歩いて測り、緯度1度の長さを計算して至時に報告したが「その距離では短すぎて、正確な数値が得られない。江戸と蝦夷地(北海道)くらいの距離を測る必要がある」と言われた。これが江戸と蝦夷地の距離測定への契機になったという。

 1800年、第一次測量に旅立った時は55歳であった。現在の北海道別海町まで約4カ月をかけて測量した。1日の移動距離は約40kmという強行軍だったという。その後、第十次測量まで、実に17年間にわたって全国各地の測量を行った。その道のりは約4万km(地球1周分)にも及んだ。忠敬が定めた緯度1度の距離「28.2里」は、現
在の地図との誤差が約0.2%という驚異的な数値であった。記念館では、現在の地図と忠敬の測った「伊能図」を重ねて展示している。実際に見ると、想像以上にその差が小さいことに驚く。

 日本全図の作製という偉業もさることながら、退職後、50歳から新たな学びを始めたことには感服する。現在より平均寿命が短い時代の「50歳」であることを踏まえればなおさらだ。一説によると忠敬は「人間は、夢を持ち、前へ歩き続ける限り、余生はいらない」という言葉を残したという。考えてみれば、本来、人生には「余り」などなく「余生」も確かな人生そのものである。

 忠敬は、最後の第十次測量を終えた2年後、73歳で他界した。そのため、測量した資料をもとに作製された地図をその目でみることは叶わなかった。しかし、その遺志を引き継いだ者たちが大日本沿海輿地全図(伊能図)を完成させたという。たとえ自分が生きている間に成しえなかったとしても、次の世代に繋ぎ、託し、世界を前に進めることができる。記念館で忠敬の功績に触れると、「徒歩で測量を行うという気の遠くなるような仕事の積み重ねによって、世界は少しずつ創りあげられてきた」ことを実感できる。なにをするにも年齢を言い訳にし、二の足を踏んでいては、忠敬に発破をかけられてしまいそうだ。余生を穏やかに過ごすこともよいが、「冒険」は、それ以上に魅力的かもしれない。

(佐藤 琢磨)

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タグ:佐藤 琢磨
posted by fmics at 18:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 巻頭言
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