大学や大学生の数のコントロールが、高等教育の質の向上に関わる本質的な問題なのでしょうか?
司法試験の想定合格者数を遥かに超えた規模で開設されてしまった法科大学院や、やはり供給過多となっている歯学部の問題などを見れば、特定の分野における数的なコントロールは確かに必要でしょう。しかしそれとて、数のコントロールが直接的に教育の質を担保すると言うよりは、大学で養成される人材と進路先とのマッチングやバランスを取るという事が先にあるわけです。
たしかに、就活を巡る問題を見てみれば、我が国の大学教育とその後の職業との関係が、あまり上手く繋がっていない事は確かです。
新卒採用では、大学での正課の学びが直接的に評価される割合は低く、課外の体験活動的なものへの評価や、大学教育以前の“地頭”への評価が大きな割合を占めるという構造です。しかしこの事自体は、大学の設置が厳しく抑制されていた1970年代から既に出来上がっていた訳であり、大学や大学生の数が現在のように増える以前から、機能不全をおこしていたのです。
総体としての大学で考えてみれば、日本の大学進学率は51%と、OECD諸国の平均の62%に比べて決して高いものではありませんが(OECD2012)、他の先進国に比べれば相対的に私費負担が高い我が国の大学に、それでも多くの人々が授業料を払ってまで進学するのはなぜなのでしょう。
高校卒業でも十分な雇用やキャリア形成の機会があれば、わざわざ猫も杓子も大学へと進学する必要は無いのですが、産業構造の変化により高卒での就職先が減り、職場における人材育成力も低下して、それは叶わなくなっているのです。
このような産業構造の変化が不可避であれば、それに対応した教育・訓練のシステムを、雇用のあり方とも併せて再構築して行くことが本質的な課題であり、単に数をコントロールするという事では解決しません。
“前”文部科学大臣が、既存大学の学部新増設には手をふれず、大学新設の3校に限って、土壇場でストップをかけようとして騒動になったこの問題。当の本人は就任から数ヶ月にして政権交代となり、議員としての議席まで失うというオチもつけば、その時々の政治家の思いつきレベルで行政を行ってはならないという事を、あらためて見せつけられたように思います。
その後、文部科学省内に「大学設置認可の在り方の見直しに関する検討会」が設置されました。政権交代によりこの検討会や議論の扱いがどうなるのかは定かではありませんが、大学や大学生の数という矮小なレベルではなく、教育・訓練・雇用の関係をトータルに捉えた議論が深まる事を期待しています。
(出光 直樹)

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