2020年06月10日

日本にとって最強の「戦略物資」は何か?

 今般の事情からか、世界史上の感染症に関する書籍が売れているようだ(かく言う私も、既に何冊も買い込んでいる)。

 一方、去る5月23日にオンラインで行われた例会で登壇者が半導体に関わる生産やシステムが国家にとっての「戦略物資」となっている状況を、驚きをもって語っておられた。それに思わず噛みついてしまったのだが、地域間交流という名のグローバル化が当然の中にあって、どういう部分に国家としての強みを見出していくのか? それは国家戦略として当然のことであるし、経済学者間で珍しくコンセンサスが成立している部分でもある。

 地域間での物流をするにあたって、どうすればwin-winな関係となるのか? 双方で競合しうるモノを流通させるのであれば双方で排撃運動が起こる(アメリカと中国との「貿易摩擦」が記憶に新しいところ)し、排撃が起こらなくても双方の市場機能(≒消費者の購買行動)によって優劣がやがて定まる。そうすると、単純な発想としては、双方の弱点を補完するようなモノの流通が実現すればいいのではないか? 逆から見れば、双方にとって(強化した方がいい)強みはどこかを明らかにできればいいのではないか? そうだとすると、強みや弱みを判断する基準は何か? それが「比較優位」という考え方である。これは自国(あるいは自地域)内にある産業のうち、どれが低コストで生産できるかで判断される。思わず「外国と比較しなくていいのか!?」と言いたくなるが、そうではないということをイギリスのリカードという経済学者がエレガントに証明した。人は本源的に居住する地域の自然的条件とその中で脈々と受け継がれてきた生活様式を与えられたものとして今の行動を決めている。そして、その形は地域によってさまざまだろいうのは容易に想像がつく。つまり、自然的条件と生活様式(≒歴史的条件)が全く同一な複数の国を見出すのは無理なのであって、その意味において、地域間の物流という観点から他国と比較することに意味がないのである。そう考えるとき、IT産業の立ち遅れを挽回する「国家戦略上」の目的で小学校においてプログラミング教育を導入している姿は滑稽に映ってしまう。

 比較優位は居住する地域の自然的・歴史的条件から滲み出てくる、他国との比較が不可能な概念である。であるならば、日本独自のオリジナルなものは何か?これこそが、日本にとっての最強の「戦略物資」である。

「じゃあ、その最強の『戦略物資』とは具体的に何だ!?」
「さぁ、『今月の本』を読んだらヒントが掴めるんじゃない?」
「そんな無責任な!」
「偉大なる無責任的存在が大学教員さ」

(中村 勝之)

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あなたも思わず「なんでやねん」

 関西人が普通に言えない言葉でお馴染み、「関西電気保安協会」のWEB動画『ある日突然関西人になってしまった男の物語』がSNSで「笑った」「嘘やと思うやろ? 全部ホンマやねん」など盛り上がりを見せているとのこと。これは同協会が公式YouTubeチャンネルにて3月2日から順次公開していた連続ショートコメディドラマ。4月17日全12話がまとめられた完全版が公開。

 ストーリーは関西とは縁もゆかりもない男、西尾学(西を学ぶ)がある日突然「関西人」になってしまったことで起こるエピソードを「関西あるある」を盛り込みながら描いたもの。2020年5月10日毎日新聞日曜くらぶ「スポニチ発深よみエンタプラス」のコラムでも取り上げていた。

 『第2話で医者に駆け込む西尾青年。「ホテル?」と聞かれ「♪ニューアワジ〜?」と返答、「とんかつとんかつ?」と聞かれ「♪KYK〜」と返答、「お仏壇の?」と聞かれ「♪浜屋〜」と返答。いくつもの関西ローカルCMの楽曲をパブロフの犬のように自然と受け答えしてしまう。医者から出された診断は「急性の関西人やね・・・知らんけど」。ええかげんすぎる展開に笑いがこみ上げる。

 鉄板のフレーズも健在。「♪かんさい〜でんき、ほ〜あん、きょ〜かい」のメロディは関西人にとっては、土曜お昼に吉本新喜劇を見ながら焼きそばを食べるという組み合わせくらいなじみが深いとのこと。同社によるとテレビCMは1976年にスタート。77年からこのサウンドロゴを使用するようになったという。

 テレビ版のCMはこれまで約140本を製作、ウェブ版は4作目となる。今回は「ストーリーをどうつなげるのか展開が難しかった」(同社関係者)と半年間かけて入念に製作。「保安協会が何の仕事をしているのか分からないイメージが強いけど関西では身近な存在。社会のインフラを支えているというメッセージを伝えたかった」(関係者)。同社は電気設備の点検や保安管理を行っているが、44年にわたりCM放送する業務内容を理解している関西人は少ないように感じる。ただ強烈なインパクトだけはあるのでCMとしては大成功。刷り込みをさらに推し進めるため黄色いヘルメットがトレードマークの同社社員も出演中。ニヤニヤできるCMは来年以降も続くはずで、さらに急性関西人が増えることは間違いない・・・知らんけど。』

 大阪弁をしゃべる猫がコロナウィルスに説教するという猫姉妹ちゃんねるさんが公開している動画も話題、さっそく「なんでやねん!」のツッコミの一つも入れたくなってしまった。

(宮本 輝)

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2020年05月07日

遠隔授業で学力は下がるから9月新学期説?

 突如として湧き出た話、9月新学期。新型コロナの影響で、9月新学期に制度移行するのは、時間と資源とエネルギーの無駄である。

 恐らく若い人達には分からないだろう。通年授業が普通だった大学業界において「セメスター制」革命が吹き荒れたのは1990年代終盤。これとてその本質は「諸外国が…」という同調圧力に過ぎなかったのだが、それが「短期間で集中的に学修した方が…」という美辞麗句にほだされて今や普通のカリキュラム・システムになっている。一部の大学で実施されている「クォータ制」も事の本質は同じである。その反面、カリキュラム・システムの変更が学ぶ者の学力にどう影響するのか、この点について体系的に調査・研究された事実は、皆無に等しいと言っていいだろう。何でもそうだが、大幅なシステム変更を画策するのであれば、そのことによって分析対象が大幅に良化することを証明しなければならない。9月新学期を本気で検討するなら、コロナ対応とは別の基準で検討する必要がある。

 前置きが長くなったが、今般の事情で遠隔授業を中心に行われるようになった。事情が事情だけに仕方ない部分はある反面、これまで遠隔授業を実際にやってみた実感としては対面授業と遠隔授業、両者で学力面での有意差は「確認されない」だろうということである。遠隔でミニッツペーパーもどきの作成課題を学生に与えたのだが、それを実際に採点してみて、対面でやっても大差ないだろうというのがその感覚的根拠である。ちょっとしたことであるが、ある程度の文量を書かせる課題において、資料等からそのまま抜き出すだけのものと自分なりに考えて自分の言葉で書こうとするのとでは雲泥の差がある。そして、自分の言葉でまとめようと苦闘する学生ほど追加情報に敏感である。おそらくだが、追加情報に敏感な学生は対面授業でも敏感に反応する。鈍感な者は何をやっても鈍感なものである。少なくともボリュームゾーンにとって、遠隔授業による学力低下という悪影響を受けることは少ないだろうから、これを理由に新学期を9月に移行したところで(学力で見た)状況の本質は変わらないだろう。

 無論、反論もあるだろう。そのいい例として、アクティブラーニングで学力が上がったという事例報告は数多あるが、そのほぼ全てが偏差値の高い所謂上位校の為せる業であるという事実はあまり知られていない。それを真似た所で意味は皆無、われわれが中心に据えるボリュームゾーンの若者には有効に機能しないだろう。

 学期をずらすことは時間のタイミングをずらすだけのことだから、教科内容が不変である限り、9月新学期という制度変更は事の本質を大きく変えないだろう。むしろ、制度を定着させるまでに投入された有形無形のコストをその後の定着で回収できる保証はない。このコスト増が大学経営を圧迫させる事になる。そう考えるとき、9月新学期説は大学大粛清の幕開けなのかもしれない。

 それを避けたいのなら、早急に(段階的にせよ)対面授業を復活させる方策を模索することである。これが私立学校の経営状況にとっても、教職員および学生のメンタルヘルスにとっても最善の方策である。

(中村 勝之)

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新型コロナで帰省できなくなった学生に“仕送り

 新潟県燕市は政府が緊急事態宣言を発令した7都道府県からの帰省を自粛している学生を応援しようと地元の有志と協力し地元産コシヒカリや食品を無料で贈るサービスを始めた。提供するのはコシヒカリ5キロ、きゅうり、みそ、漬物、市提供の布製マスクなど計6点。燕市出身で7都道府県に住む18〜30歳の学生が対象、市が4月10日に発表するとツイッターなどで話題になり、13日午前までに170件を超える応募があった。
 燕市は発令区域との往来自粛を呼びかけていたところ、市民から「かわいそうだ。何かしてあげたい」と声が上がり、支援の動きが始まったとのこと。市民有志がお金を集め、農家からコメを買い上げて市に寄付。きゅうり、みそ、漬物は農家が提供、送料とマスク代は市が負担。同市産のコシヒカリは減農薬で「県特別栽培農産物」に認証され、もちもちして冷めても甘いという。鈴木力市長も農場で荷造りに参加、市長は「古里はいつでも帰れる温かいところ。帰省の自粛を頼むのもつらいが、言われた学生もつらいと思う」と述べた。市民有志の一人でもある農家の男性は「身土不二という言葉もある。少しくらい笑顔になってもらえれば」と話した。(毎日新聞2020年4月14日より

 市からの“仕送り”に添えられた市長のメッセージ『燕市への帰省を自粛している学生の皆さんへ』を紹介。「燕市では、5月6日までの間、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、緊急事態宣言が発令された区域から燕市への往来について自粛をお願いしています。さびしく不安な気持ちでいっぱいな皆さんに対しても、ふるさと燕市へ帰省しないでほしいとお願いすることになってしまい。大変申し訳なく思っています。そんなとき、私と同じように皆さんのことを心配する市内事業者の方々から、せめて、お米だけでも届けてあげたいという声をいただきました。とても素晴らしい取り組みだと思い。すぐに実行することとしました。燕市で収穫されたコシヒカリ5キロと手作りの布製マスク1枚を手配していたところ、支援の輪がどんどん広がり、味噌や漬物もお届けできることになりました。おいしいご飯をモリモリ食べて、少しでも元気を出してほしいと思います。燕市はいつでも皆さんを応援しています。新型コロナウイルスに負けることなく、この難局を乗り越えられるよう、一緒に頑張りましょう。令和2年4月 燕市長 鈴木力

 京都大学の山中伸弥教授は『新型コロナウイルス情報発信』にて「新型コロナウイルスに対する対策は微妙な手綱さばきが求められます。緩めすぎると感染者の急増と医療崩壊を招きます。締めすぎると、休業自粛をお願いしている方々の生活が崩壊し、また抗体を持つ人の数がなかなか増えないため、第3波、第4波に対して脆弱になります。」と述べている。次号発刊時には大学再開を願って・・・。

(宮本 輝)

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2020年04月02日

不測(不足)の事態にこそ

 人類の歴史は経済活動の拡大に伴う地域間交流と不測の事態との戦いの歴史でもある。不測な事態の代表的なものは戦争であるが、感染症も不測の事態をもたらす。まさに今の状況は人類がこれまで格闘してきた感染症との戦いの再現であるともいえる。

 感染症とは直接関係はないが、こうした経済システムにおける不測の事態に陥った際に持ち出される2人の偉大な学者、それがJ.M.ケインズとJ.A.シュンペーターである。ケインズについては以前話させてもらったが、ここでは再登場してもらおう。

 ケインズ登場以前の経済学の世界では、(短期的には)すべての市場、とりわけ労働市場が需給変化に対してスムーズに調整される状況が前提されていた。1929年に起こった「世界恐慌」においても同様のスタンスであった。これは歴史が証明する事であったが、当時の経済学者が想定してた市場の調整機能は働かなかった。ここで詳細を語るのは避けるが、ケインズは労働市場が需給調整を帰納しない世界を想定したときに何が起こるのかを明らかにした。そして、不測の事態の招来に際して政府の財政出動が極めて重要であることを明らかにした。

 いま、現政権が今般の事情に際して生活に困窮する個人や中小事業者を対象に現金給付を議論している。ここで重要な論点は、対象とする個人・事業主を何らかの基準で区別するか否かである。感情論的にはそこまで困窮していない人々にまで支給対象とすることに反対する論調があるが、ケインズの着想で言えば、支給対象を区分しても全員一律支給としても、結果は変わらない。たとえば、100の人口を抱える国があって、何らかの事情で生活に困窮事態に陥ったとする。このとき、政府が総額100だけの現金を所得補償として給付する状況を考える。もし全員に一律支給すると、一人当たり1だけの現金が支給される一方、事情を精査して10だけの人口を選べば彼らに10だけの現金を支給することになる。いずれの場合も人々が支給された現金のうち60%を実際の生活維持に充当したとすると、一律支給も選択支給も60だけの消費が増えることになる。この消費増加が巡り巡れば、結果的に国全体で150の所得が増える計算になる。誰に給付しようが総額が変化しない限り結果は一切変わらない。これはマクロ経済学の教科書でいう「乗数効果」の教える所である。

 ただし、現金給付という財政出動はそのきっかけに過ぎない。それをもらった瞬間にどう使うのかが問題となる。「将来のために残しておこう」では何にもならない。ケインズが今も生きているのなら、「誰が給付をもらおうと問題ではない。もらった給付はどんどん使え!」と叫んでいるだろう。

(中村 勝之)

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「自分」株式会社

 日本経済新聞(2020年3月31日)「大機小機」にて新型コロナウイルス流行の影響による入社式の中止や延期、自宅待機となった新入社員へ向けて、カナダ・ヨーク大学のモシェ・ミレブスキー教授が「人生100年時代の資産管理術」という本で表した言葉を紹介している。

 一人ひとりが「自分」株式会社の最高経営責任者(CEO)兼最高財務責任者(CFO)として、その企業価値を最大化していきなさい―とミレブスキー氏は教える。就職で文字通り「親」会社から独立し、結婚を機に「合併」。節目のライフイベントでは、配偶者や子どもなど様々な利害関係者も「役員会」での発言を求めてくる。どうさばくかはCEO兼CFOの腕次第。「自分」株式会社に込められた意味は、生涯にわたる長期の視野を持ち、経済的に自律(自立にも通じる)して生きることの大切さ。今その意識を強く持つよう勧めるのは、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的な流行)がいずれ去った後、世界経済も個人の価値観も大きく変質しているからである。

 極端に落ち込んだ景気を支えるため、各国の政府は未曾有の経済対策を次々に打ち出している。難局を乗り切るため不可欠な財政支出ではあるが、コロナ禍が収まった後に残る膨大な借金をどうするのか。答えはまだない。これと別に、パンデミックのなか一気に普及した遠隔勤務も、働き方を不可逆的に変える可能性がある。経済的にも働き方の面でもより自律した個が求められ、それが「コロナ後」の世界観であると説く。最後に「自分」株式会社の資産を増やすには、自分という人的資本に投資を続けながら、リスクをコントロールし賢くお金を増やしていくことが大切である。最良のCEO兼CFOを目指し、まずは学ぶことから始めようとエールを送った。

 ノーベル医学生理学賞の山中伸弥・京都大教授は、13日開設されたホームページ「山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信」にて「新型コロナウイルスとの闘いは短距離走ではありません。1年は続く可能性のある長いマラソンです」「ウイルスとの闘いは、有効なワクチンや治療薬が開発されるまで手を抜くことなく続ける必要があります。(中略)社会崩壊も、医療崩壊も起こらない形で、(新しい現実を)ゆっくりと受け入れる必要があります」と述べている。新しい現実を受け入れる4月のスタートとなった。

(宮本 輝)

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2020年03月05日

大学教員の悲しい性(さが)

 新型コロナウィルスの世界的流行を受けて、日常生活がいつも通りできない生活を余儀なくされている。人々の間に焦燥感や沈滞感が広がっている一方、非日常空間の出現にドキドキワクワクする連中がいる。それが大学教員である。

 まずは感染症の専門家。不謹慎な表現だが、新型ウィルスの発見は新種の発見ともいえる。その生態を調べ尽くしたいと思うのは強烈な知的好奇心の発露だと言える。ここが分かればさまざまな分野に伝播する。公衆衛生学やワクチン開発などがその典型だろう。情報工学などは人の移動経路を詳細に追跡できる技術開発のきっかけになるかもしれない。意外なところでは歴史学。過去に流行した感染症にわれわれがどのように立ち向かってきたのか、それを知ることで今の対策に何らかの示唆を与えてくれるかもしれない。

 そして経済学者。地域間を物的人的に交流することで活動を拡張してきた事実を踏まえれば、ひとたびウィルス感染が発生すればたちまち世界的な流行になってしまう。これもグローバル化の「必然」である。そして、ウィルスの感染拡大で経済活動の制約が増えると投資家心理を冷え込ませてしまう。それが一瞬起こった株価の世界同時安である。これを書いている時点でNY株式市場が1300ドルほどの上昇があったようなので一安心と言いたいところだが、まだ予断を許さない状況であるのは間違いない。

 世界にひろがる非特異な事象(ショック)に際して、私が注目している指標が「為替レート」である。2008年9月に起こった「リーマンショック」後に起こった急速な円高(これによってトヨタ自動車の営業利益が数兆円規模で消し飛んだことに「トヨタショック」と言われたことを知る人は少ない)。これが何を意味しているのかについて学者間のコンセンサスは成立してないが、おそらくだが、世界の投資家において最後のセーフティネットとして日本円が選ばれるようになったと考えられる。もしこの考えが正しいのなら、先日一瞬起こった世界同時株安をきっかけに円高基調で推移したというのも納得できる話である。そしてもし、急速な円高が進行してしまえば周囲の諸国が経済活動を回復させる中で日本だけが遅れることになる。経済学者として新型ウィルスの感染拡大で一番恐れること、それが円高である。

(中村 勝之)

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ブログまず手書きで

 新型コロナウイルスをめぐる様々なデマ情報、連鎖して拡大していくと大きな影響力となることを認識、こういう負の心理の連鎖はウイルス感染以上に問題で特に今回のような緊急事態においては深刻な問題となる。「国語力が危ない「読む・書く」の今」(読売新聞2019年12月6日)をあらためて読み直した。

 インターネットで簡単に情報がやりとりできる今、あえて「じっくり書く」ことの意味が見直されている。東京都小金井市のブロガーあまかすさんは、ほぼ毎日ブログを更新する。題材はグルメやアニメなど。文章を作るにあたりまずはA5判のノートを開きペンを握る。例えば11月下旬のある日のテーマは、市販のレトルトカレー。ノートには「スパイスがきいて、からくてうまい」と一番言いたいことを最初に書き、「チキンにもしみておいしい」「コスパは悪いが刺激を求めるならこれ」と記していく。順番を整理し最後にタブレット端末を起動させて、キーボードで一気に文章を打ち込む。

 あまかすさんは、以前はパソコンで直接ブログを書いていたが、時間ばかりかかって伝えたいことがまとまらない。知り合いのブロガーに勧められてノートに下書きをしてみると、「言いたいことが短時間で整理でき、筋の通った文章になった」という。東北大学加齢医学研究所によると、手書きの方がパソコンの文字打ち込みに比べて、思考や情報処理を担う「脳の前頭前野」を活発に動かすという実験結果が出ているという。

 パソコンはすでに社会に定着している。企業では手書きでなくともよく考えて文章を作り、思考力を高めようとする取り組みが広がっている。アマゾンジャパン(東京)の社内会議では、「パワーポイント」などのスライド式の資料作成ソフトは使わず、社員が1ページまたは6ページのワード文書に意見や提案をまとめる。その文書を全員で読んで論議する。スライド式の資料は、図や矢印などが挿入でき、短文で論点を示せる。だが、個々のスライドは分かりやすくても、全体を通して読むと意味が理解できなかったり、論理的につながらなかったりすることもある。同社の担当者は「一連の流れの中で説明する文書を作る方が、社員たちの論理的な思考力が高まる」と長文重視の理由を説明する。

 新型コロナウイルスの蔓延で「死」の恐怖が国中に広がり、命を守る(と信じられている)マスク、生活が不自由になると(思い込まれている)トイレットペーパーなどの「今の生活を維持しよう」という保身の「欲」剥き出しの消費行動が人間の浅ましい姿を垣間見させる。相田みつを氏の言葉「奪い合えば足らぬ、分け合えば余る」を心に刻み、お互いを励まし合ってこの危機を乗り越えていきたい。

(宮本 輝)

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2020年01月31日

終わらない改革の時代と大学職員

 2月6日(木)に横浜市立大学で開催される公開SD研修会にて、上記のテーマで講演します。副題は、―大学行政管理学会初代会長・横浜市立大学初代理事長予定者・孫福弘のプロフェッショナル職員論を手がかりに― です。

 随分以前になりますが、2011年12月と2012年5月の2回の月例会で、日本企業の「正社員」を巡る独特の雇用労働システムを包括的に説明するものとして濱口桂一郎氏が提唱した、「メンバーシップ型」というモデルを紹介、大学(事務)職員についても「メンバーシップ型」と考えることができるのではないかという話をさせていただきました。今回の公開SDは、いわばその続編にあたるものです。

 今回のポイントは3点です。

 第1に、日本の大学職員の最大公約数的な本質は「メンバーシップ型」人材、言いかえると「日本型サラリーマン」であるという点に求められるのではないかということ。

 第2に、慶應義塾大学の職員から教授となり、大学行政管理学会の初代会長でもあった孫福弘氏は、「日本の大学職員はプロフェッショナルにならなければならない」と主張しましたが、「プロフェッショナル」の条件とは何でしょうか? そして、氏の急死から約15年がたった現在、大学職員は「プロフェッショナル」になったのでしょうか? 私にはそうは思えません。

 第3に、では日本の大学職員が「プロフェッショナルならざる日本型サラリーマン」であったとして、それが「企業」ではなく「大学」の中に存在すること、それも「事務局」という強い独立性を持った「組織内組織」に一元化されていること(これも世界的には特異なあり方です)はどういう意味を持つでしょうか?そして、日本の大学の「現在」と「将来」にどう関係してくるのでしょうか?

 役に立つかどうかはまったく保証できないのですが(特に短期的な意味では)、他では聞けない話にすることはお約束します。
(菊池 芳明)

公開SD研修会 ポスター 
【日時】 2020年2月6日(木)15:00〜16:30

【会場】 横浜市立大学 金沢八景キャンパス
 YCUスクエア4階 Y401教室

【参加費】 無料

【申込先】 横浜市立大学 人事部人事課
 sd_plan@yokohama-cu.ac.jp
 *2月5日(水)までにお申し込みください。

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ミシュランとななつ星

 ミシュランガイドはフランスのタイヤメーカーのミシュランが1900年8月に発行。当時フランス全土で走っていた車は2500台程度、故障やパンクを恐れて遠くには行かず、富裕層が購入して周囲に見せびらかす程度。「安全で快適な乗り物である自動車で遠くに行ってほしい。そうでなければタイヤはすり減らないので売れない」と考えたミシュラン兄弟は、車の修理の方法、ガソリンスタンドの場所、宿泊するためのホテルの情報を載せた。

 最初に星が登場したのは1923年。「快適さと適正な値段のレストランに黒い星をつける」が「おいしさを表す」ものとなったのは1926年である。ミシュランガイドでは飲食店を「素材の質」「料理技術の高さ」「独創性」「価値に見合った価格」「常に安定した料理全体の一貫性」の5つのポイントで評価。さらにその総合評価を「そのために旅行する価値のある卓越した料理」として三つ星、「遠回りしてでも訪れる価値のある素晴らしい料理」として二つ星、「近くに訪れたら行く価値のある優れた料理」として一つ星を付けている。

 日本は2007年11月にアジア初の東京版発行、今年は春に新潟2020特別版、秋には京都・大阪+岡山2021を発行予定である。日本経済新聞2020年1月6日「ミシュランとななつ星」(JR九州会長・唐池氏)の記事を紹介したい。JR九州の豪華列車「ななつ星」は2014年10月に運行を開始・3泊4日の鉄道の旅の魅力の一つが食事、最初の食事は1日目のランチに出てくる寿司である。全国の食通が訪れる福岡の寿司の名店「やま中」の大将が実際に列車に乗り込み、乗客の目の前で握ったそのままを一貫ずつ提供する。

 ミシュランガイド福岡・佐賀2014発行のために各店舗に覆面調査員を送り込んだのが2013年秋以降、当然「やま中」にやってきた。大将の腕前と心意気のよさを知っている常連客は、当然二つ星か三つ星を獲得するものと思い込んでいた。蓋を開けると一つの星も付かなかった。事情通によるとミシュランの調査にはある種の好みがあるという。どうも「やま中」はその好みに合わなかったようである。本が発売され、「やま中」に星がないのを知ったなじみの客が大将に慰めの声をかけると大将は胸を張った。「うちは二つ星も三つ星も要らない。すでにななつ星だから」今秋、ななつ星は満七歳(ななつ)を迎える。

 ミシュランガイド2020フランス版が27日発表、日本人シェフが初めて最高位の三つ星を獲得した。パリのレストラン「KEI(ケイ)」でオーナーシェフを務める小林圭氏は「店に来たすべてのお客さんに『人生で一番の料理だった』と言ってもらいたい」。仏紙ルモンドは2018年にガイド総責任者に就いたグウェンダル・プレネック氏の影響を挙げ「歴史的な店の格下げをしようとせず客観性より情緒的判断を優先してきた」旧弊を改めたと指摘した。

(宮本 輝)

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