2024年02月07日

1秒の定義

 先日、仕事のため情報通信研究機構(以下NICT)を訪れた。NICTは、ICT分野を専門とする我が国唯一の公的研究機関であり、日本標準時(JST)および標準周波数を決定・維持し、供給するという重要な業務も担っている。日本標準時は「1秒の長さの定義」にしたがって作られているそうだ。恥ずかしながら「1秒の定義」については、まったくの「初耳」であった。

 1秒は、かつて「地球の自転1回転を基準に1日の1/8万6400時間」とされていた。しかし、地球の自転が一定ではないことが判明し、それ以降、より高い精度が求められてきた。人類は進化を経て、原子の持つ「安定」という性質を時計に応用するに至る。原子や分子には「固有の振動数の光や電波を吸収し、放射する性質」がある。「セシウム133原子」が吸収・放出する電磁波(電子の振り子のようなもの)が、9,192,631,770回(約9.2億回)振動する時間の長さを「1秒」と定義した。原理は振り子時計とある意味同じである。セシウムが選ばれたのは、自然界で最も安定している元素のためだという。現在で、世界中の時刻の基準となっている「協定世界時」は、この原子時計に基づいて決められている。さらに興味深いことに、2030年には「1秒の定義」が再定義される予定だと聞いた。セシウム時計でも、3000万年に1秒の誤差が生じるため、さらに精度を向上させる「光格子時計」を利用することが見込まれているそうだ。NICTは、2022年に世界で初めて、光格子時計が、「1秒の長さ」をより正確に評価できることを実証した。

 影の位置を測定する「日時計」から始まり、振り子時計や水晶時計を経て、原子の振動回数で「秒」という時間を作り出し定義する・・・。人間とはなんというとてつもない発想を持ち、挑戦するエネルギーを持った生物なのだろうか。正確な1秒を安定して維持するために、まさに「不断の努力」が、想像を絶する長い間、私たちの生活を支え続けてきた。連綿と積み重ねられて創られたこの英知は、地球上の様々な国や地域、幾世代もにわたる人々の「人生」が繋がって帰結した成果といえよう。頭では、出来事や知識として冷静に受け止めることができる。しかし、ここまでに至る、長く困難であったであろう「歴史」に想いを馳せれば、その壮大さとひたむきな努力に圧倒される。

 書斎やリビングに地球儀を置く人がいる。インテリアとしての目的はさることながら、日々の些事にとらわれず、オープンマインドで物事をとらえる大切さを思い出すために置いているのだと聞く。人生は80年と言われる。自分ひとりの人生をより高い地点から「長い人類の歴史」の一部として繋げ、重ね合わせてとらえてみれば、人生のあり方が、別な物として浮かび上がってくるようにも思う。「科学」と「歴史」の真髄に触れる貴重な機会であった。

(佐藤 琢磨)

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2024年01月10日

VUCAの時代に生きるために

 令和6年の幕開けは、能登半島地震、羽田空港の旅客機炎上と、テレビでは正月特番と報道特番が入り乱れる事態となった。まずは被災された方々に心からお見舞いを申し上げたい。

 年末に裏巻頭言の構想を練っていた時は、増税メガネ(cf:2023年参議院予算委員会)の施策を予言したかのような小説「ショートショートランドには陽は落ちて」(高橋源一郎)を題材に組み立てていたが、今回の大災害を受けて大きく軌道修正を行なうこととした。

 福島県は東日本大震災から12年が経過した現在も、依然として原発問題と風評被害と対峙している。能登半島にも志賀原発があり、地震による致命的なに事態に至らず安堵した一方で、今回の地震への初期対応や優先順位づけ、情報共有や流通など「311」の教訓は果たして生かされているのだろうか、という疑念も深い。不確実性は高まり、生成AIに代表されるICT技術は飛躍的に進歩する中で、日本人の思考性やメンタリティ*は、「昭和」からほとんど変化していないのではないか。

 興津先生が先日の FMICS で話題提供された「シナリオ・プランニング」では重要な示唆を与えて頂けた。多くの大学の学生募集(入試広報)活動では、ゴール設定や戦略も形だけ整え、目の前の業務に終始した挙句、志願者が減れば「18歳人口の減少」「コロナ禍明けの首都圏回帰」など自分たちの責任の及ばない外部環境に要因を求めてしまう傾向が強い。本気で「先を読む」「自学教育の理想を追求する」こと。そこから様々なオプションも想定しつつ緻密なシナリオを組み立てていくことで、不測の事態にも対応できる「柔軟性」が発揮でき、結果に対する成果と課題も明確になるのではないだろうか。とはいえ「言うは易し」であって、真の行動変容を行うためには、知識や技能はもとより、当事者のメンタルも変革する必要があるだろう。

 今の若者は「失敗」や「軋轢」をとても恐れるという。本学の「むらの大学」(フィールドワーク科目)のグループワークを見ていていも、仲間内の「おもてなし承認(いいね!)」ばかりで、議論の衝突はなるべく回避しようという姿勢が目立つ。社会に出る前の大学や高校では、学生にもっと失敗させる経験をさせる必要があると考えるが、その実、範を示すべき我々教職員にとっての課題とも言えるのではないだろうか。

 私の友人が年末にSNSで発信していた故淀川長治氏の言葉がある。

 「私のモットーは『ウェルカム・トラブル』です。誰だってトラブルは嫌ですけど、人生はいつもそれを避けて通るわけにはいきません。だったら腹をすえてトラブルを歓迎してやるんです。気持ちがぐっと前向きになりますよ」。

 様々な逆境を好機と捉え、失敗を恐れず、掲げた理想にめがけて、これを座右の銘として日々の活動に邁進したい。

*一般的な日本人の思考性やメンタリティとは、思考性は、形式的で柔軟性に乏しい、本質を見分けるのが苦手、大局的な見地に立てない等.メンタリティは、主体性が低い、自己表現は下手、曖昧を是とするなど

(新藤 洋一)

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2024年01月01日

2025年の壁

 昨年11月末「第18回世界デジタル政府ランキング」が発表された。早稲田大学総合研究機構電子政府・自治体研究所が、デジタル先進国66か国・地域を対象として、デジタル政府の進捗度を多角的に評価したものだ。分析は「デジタル・インフラ整備」「行財政最適化」「オープン政府データ・DX」をはじめとした10指標で行われ、日本は、国民視点のデジタル化、並びに行財政改革推進に十分な進捗がみられないとして11位の評価となっている(2022年度の国連経済社会局の世界電子政府ラインキングでは14位)。また、デジタル・ガバナンスの強化、中央官庁の縦割り行政の打破、自治体間デジタル格差、国民中心のデジタル化の実装など多くの課題も示されている。

 昨年12月20日、政府はデジタル行財政改革会議の「中間とりまとめ」において、教育現場におけるファックス利用や押印を2025年までに廃止する方針を示した。他にも、「生成AIを校務で活用する学校を2025年までに50%」「クラウド環境での校務DXを徹底している学校を2026年までに100%」にするなど「教育DXに係るKPIの方向性」が示されている。裏を返せば、学校現場では、コロナ禍を経ても、いまだに「紙ベース」の業務が続けられていると言える。コロナ禍以降、職場で大きく変わったことといえば、Web会議やテレワークの一部浸透くらいだ。部署間の差はあるだろうが、過度な押印や紙を前提とした規程や業務プロセスに大きな変化は見られない。各部署の基幹システムが異なるため、円滑な連携は課題のまま残っている。

 個々の教職員は真摯に業務に取り組み、求められている役割をこなそうと懸命だ。しかし、当然だが業務分掌には、デジタル化やDX、RPA、Chat-GPTの活用は記載されていない。各自が自律的に新たな課題に取り組めることができればよいが、部局をまたぐ基盤的な整備を行う際に、個人の力量に期待するだけでは、目に見える成果を出すのは難しい。国が異例の速さでデジタル庁を設置したように、責任主体となる組織を新設し、部署間のやりとりを円滑に行う仕組みを構築して、組織全体が効率的なサービスを実施できるような取り組みが求められる。

 大学にも、国と同様の課題があてはまる。経産省が、2018年に発表した「DXレポート」では、企業のDX推進が遅れた場合、競争率が低下し、2025年以降、最大年12兆円の経済損失が生じると予測されている。これは「2025年の崖」と呼ばれているが、もう目前だ。上述のランキングでも、日本への提言の一つとして、「積極的かつ最適なデジタル投資」が挙げられている。民間と比べ、大学では周回遅れが生じていると思われるが、本当に手遅れになる前に、せめて後発のメリットを生かして、対策を講じたい。

(佐藤 琢磨)

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2023年12月06日

バタフライエフェクト

 8月下旬、厚労省は今年上半期の出生者数が、前年比▲3.6%となる37.1万人だったと発表した。現在のペースで推移した場合、年間出生者数は約70万人前半にとどまると言われている。

 7月下旬、「デジタル」や「グリーン」などの特定成長分野への新設や学部転換に申請した公私立67大学すべてが「大学・高専機能強化支援事業」に採択されたことは記憶に新しい。また、令和5年の「大学入学者選抜実施要項」では「多様な背景を持った者を対象とする選抜」入試の事例として「理工系分野における女子等」と明示された。話題となった東京工業大学をはじめ、総合型・学校推薦型選抜で女子枠を設ける大学が増えつつある。また、「新設」の動きもみられる。国立の奈良女子大には、昨年4月に工学部が開設された。来年4月には、お茶の水女子大が共創工学部を開設する予定だ。今後、「理工系人材」「女子枠」という特定分野に受験生の人気が集まりそうだ。入試において、どのような影響が生じるだろうか。

 来年4月には、国立大や比較的大規模私大の理工系学部新設も予定されている。文理選択は主に「高2」から分かれるため、理工系志願者が本格的に増え始めるまで数年はかかる。それまでは、理工系学部間の競争が厳しくなるだろう。数年後、少しずつ理系志願者の「パイ」が大きくなれば、女子の多い「文学系・国際系分野」等からの移動も増えそうだ。また、既存の理工系分野から、人気の高い特定分野への「横移動」も考えられる。さらに、これまであまり関連のなかった既存分野への影響もでるかもしれない。

 本題からそれるが、理系を選択する女子生徒の数は、そう簡単に増加するだろうか。『なぜ理系に女性が少ないのか』(幻冬舎新書/横山広美)によれば、問題の背景には「優秀さは男性のものであり女性には不要である」という社会風土が存在しているという。教育未来創造会議の第一次提言でも、女子高校生の理系選択者の増加に向けた取組の推進として「幼少期からの保護者や学校、社会による理数への学びや性別役割分担にかかるジェンダーバイアスを排除し、社会的機運を醸成する」と述べられている。

 もっとも、出生数は「婚姻数」に大きく影響を受ける。コロナ禍における3年間の「恋愛ロックダウン」で失われた「出会い喪失」が「婚姻数」へ与える影響は大きいだろう。この「出生者数の急減」がコロナによる一時的な現象であることを願うばかりだ。市場全体の縮小に加えて、「理工系」や「女子」などの特定分野に志願者が集まれば、その「反対側」にある分野で現象が生じることは容易に想像できる。市場の前提や構成が大きく変わると、ひとつの小さな動きが、様々な関係を経て、全く想像しない結果につながる可能性も高まる。政府や文科省の描くシナリオと市場動向から、ますます目を離せない状況が続きそうだ。

(佐藤 琢磨)

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2023年11月08日

足りない所にヒントは宿る

「もうこれは奇跡とは言わせない!」

 このフレーズをご存知の方は相当のラグビー通、かつ相当のNHKアナウンサーフリークだと断言できる。時は2019年、前回のラグビーワールドカップ日本大会のプール2戦目。格上のアイルランド相手に19-12で勝利した直後、実況のNHK豊原謙二郎アナウンサーが発したのが冒頭の台詞である。

 実はこの台詞、1つの伏線がある。

 ラグビー日本代表は第1回大会から連続出場をしているが、1勝しただけでずっと敗戦ばかり。おまけにワールドカップ史上最大得失点差というワースト記録も持っている。そんな中開催された2015年ワールドカップイギリス大会のプール戦初戦の南アフリカ戦。今回大会で4度目の制覇を果たすなど、以前から強烈に強いチームである。下馬評は南アフリカが勝つのは当然で、日本が何点取るのか…この程度の評価だった。ところが、蓋を開けてみたら34-32で劇的な逆転勝利。まさにジャイアントキリングをやってのけたのである。

 それまでのラグビー日本代表では海外の代表にまるで歯が立たなかった。体格がモノをいう部分の多いラグビーという球技にとって、小柄な日本人ではなす術がなかったし、今後もないと思っていた。それがなぜ強豪国を倒すことができたのか。小柄故の動きの俊敏さと運動量の豊富さ、ここを徹底的に強化してきた。それが2015年のジャイアントキリングに繋がったし、2019年の準々決勝進出に繋がった訳である。今大会は残念ながら準々決勝進出はならなかったが、代表強化という観点で言えば、ここが正念場と言っていいのかもしれない。

 私がひょんなきっかけで学生スポーツに関与するようになってからか、当然無関係なのだが、今年はとかく各スポーツの日本代表の躍進が目立つ。男子バスケもそうだし、バレーボールもそう、ひっそりこっそりハンドボールも躍進している。確実に言えるのは、今挙げたスポーツのどれもが長身かつガッチリ体型。これがトレンドの様だが、体格面で如何ともしがたい日本代表の各選手が如何に躍進を遂げたのか? これも結局体格面のハンデを補って余りある程に自分の強みを徹底的に強化したからに他ならない。変な話だが、これが王道だしこれしかやり様がないとも言える。

 足りない事を嘆くのは簡単。足りない部分を補うのも実は簡単。足りない部分を捨てるのは一番簡単だが、別な強みを徹底的に鍛えるのが実は一番難しい。なぜ難しいかと言えば別な強みを見出せないからである。ただ、である。実は強みのヒントは自分の周囲に転がっているし、その気になったらいつでも見出せる単純なものである。未熟さを正当化する訳ではないが、学生スポーツにおいては自力で強みを見出せた者からレギュラーを掴んでいく。その半歩点前の学生達をどう後押しするか、それが大人たるスタッフの腕の見せ所である。

 私の腕の見せ所が来たようだ…んな訳なかろうが!

(中村 勝之)

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2023年10月11日

ギリギリセーフの危うさ

 例えば2週間後が期限の仕事の依頼があったとする。これをあなたはどの様に処理するだろうか。勿論、仕事の内容にもよるが、「依頼されてすぐ対処する」か「期限ギリギリになって対処する」と言う2つのパターンに大別されるだろう。この時、後者の行動パターンについては行動経済学の分野で『時間的非整合性』と呼ばれており、人間行動においてしばしば観察パターンとして、そして従来の経済理論では想定されない行動だと注目されている。

 時間的非整合性、難しい用語を使ってはいるが教育現場でしばしば観察される事象である。定期試験やレポートに取り組む学生の姿、そして学生時代の自分の姿を重ねるとより理解できるだろう。期限ギリギリで慌ててやるから食事や睡眠時間を削って対処せざるを得ない。その結果、レポート等の質はどうしても低下してしまう。とは言え、学校現場は優しい人が多く(自身の学生時代がそうだったからだろう)、質の低いものが提出されても「片目をつぶって」評価、すなわち認めてしまう。無論、レポート等の質ついて厳格に評価する教員は一定数存在し、ギリギリに対処した事がバレて評価されない結果となる。それが仕事となればもっと評価されないだろう。

 ギリギリにやって上手くいかなかった、こうした経験をすれば「早々に対処しよう…」と考えるはずがそうできない。時間的不整合性の問題の根深さは、実の所ギリギリ対処すると言う行動パターンが容易に変えられない事に現れる。なぜか?脳科学によれば、ギリギリ対処して成功した体験によって強烈な快感物質が分泌されるらしい。これが癖になって、ギリギリ対処が忘れられなくなるらしい。こうした癖の厄介な所は、ギリギリ対処で乗り切った直後に何もしなくなる事である。中学高校時代の定期試験最終日に勉強したか?この質問に「はい」と堂々と返答できる人がどれ位いるか、これを想像するだけで理解できるだろう。

 試験・レポートや仕事の場面では上記事象がしばしば観察されるが、スポーツの現場ではどうか?実は同様に観察される。昨年度から部長を務める某スポーツにおいて、ギリギリで全国大会への出場を決めた。それはそれで喜ばしい限りだが、もっと早い段階での出場決定が叶ったはずなのにギリギリ。出場決定を決めた試合とそれ以前の試合での学生の動きがまるで違う。「ギリギリ対処が癖付いてる?」そう思ってしまった。

 1発勝負の全国大会ではギリギリ対処なメンタルでは太刀打ちできない。そこをどう修正するか?大人の真価が問われる。

(中村 勝之)

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部活指導に社会人呼び込め

 10月8日(日)9日(月・祝)と久しぶりに学園祭開催、実行委員会をサポートしつつ秋以降の社会人講座開講について担当される先生方とじっくり打ち合わせをすることができた。畑は違えど大阪体育大学(大阪府熊取町)で9月上旬に社会人向け講座の「運動部活動指導認定プログラム」が開かれた記事(日本経済新聞9月25日)が大変参考になった。

 部活動の地域移行を機に社会人を指導現場に呼び込もうと5月に始めた研修プログラムで1期生は20〜69歳の約60人。スポーツ施設のトレーナー、地域でクラブを運営する会社員らのほか、「学び直し」が目的の教員や教育委員会の関係者もいるとのこと。

 教員の負担軽減を図る部活動の地域移行は、公立中学の土日の部活動を地域のスポーツ団体などに委ねる改革。大きな課題の一つが担い手となる外部指導者の確保。技術指導だけではなく、体罰やハラスメントの防止、安全面での配慮などの知識が不可欠で、人材が潤沢とはいえない地域も多い。

 講座では5カ月の履修期間中、30の必修科目を受講。学校教育と部活動の関係、ケガの予防や事故時の対応、学校・保護者らとの連携など内容は多岐にわたる。初回と最終回は対面の講義も行うが、すべてオンラインで受講可能。受講者の居住地は全国に広がる。

 最終回だった9月は「運動部活動の実践」をテーマに対面の講義を実施。教える際の注意点をグループワークで確認し、体育館では実際の指導の模擬演習もした。担当者の一人である教授は「指導の場では迷うこともある。ここに集まった仲間と情報を共有して、それぞれの地域で活躍してほしい」と話す。

 地域移行の課題には、受け皿となるスポーツ団体の準備状況などもあるが、その実情は地域ごとに異なる。自治体によっては現状でも学校単位で行える部活動の種類は少ない。

 受講者の一人は昨年NPO法人を立ち上げた。山間の地域では少子化が進み、「子供たちはやれる部活、やりたい部活がないと困っていた。地域移行はむしろチャンス」と話す。

 校区や年齢に関係なく参加できるクラブをつくろうと5月に始めたのがダンス部。幼稚園、小・中学校などの約40人が参加し、7月末に夏祭りで初舞台を踏んだ。「大体大では熱中症への対応など運営側の心得を具体的に学べた。運動が苦手な子も楽しめる場にしたい」と夢は膨らむ。本学の先生方の想いと地域の皆様の学びへの思いの相乗効果が楽しみである。

(宮本 輝)

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2023年09月07日

今勝って悲壮、負けて笑顔

 勝負事は字義のごとく勝ち・負けがはっきりする。勝った者は笑顔を爆発させ、負けた者は悔しい感情を爆発させる。観衆はそのコントラストに自らの感情を揺さぶられる。だが、ごく最近、表題の状況に遭遇した。

 昨年度から縁あって某体育会系クラブの部長に就任した。とはいえ、そのスポーツについてプレーした経験はもちろんのこと、ルールはおろか、実業団チームやクラブチームがあること自体知らない。そんな私が職務半分、興味半分で就任直後の試合に帯同して以降、1試合を除いて全ての試合に帯同して学生の一挙手一投足を観察している。そんな中、学生達の表情から読み取れた事がある。

 このクラブは一応強豪と評価されてはいるが、近年の戦績は正直芳しくなく、所謂「負けグセ」のついた状況である。なので、強敵と対戦する際には負けても悔しさを一切見せないのに、同等程度の大学に敗戦するとこちらがビックリする位泣き崩れる。「こんなメンタルの学生達をどうやって立ち直らせんねん!?こっちは素人やぞ!」なんて本音を学生達の前で吐露する訳にもいかず、ひたすら学生達を鼓舞し続けた。当然だが、昨年度から突然来た素人に心を開く学生は皆無で、私の鼓舞は試合会場の天井に響くだけであった。

 こんな状況が今年度の春季リーグ、新人戦、西日本インカレまで続いた。ただ、西日本インカレの最後の試合、私の中で「これは…!」と感じるプレーがあった。結果的にこの試合に勝利したのだが、勝った事実より「これは…!」と感じたプレーを試合後にひたすら褒めちぎった。

 それで迎えた先日行われた秋季リーグの初戦。かなりの劣勢で前半を終えたのだが、学生達の目が死んでない。むしろ手応えを感じている。それが高じてか、後半に猛烈な追い上げを見せ、あと一歩の所まで追い込む事ができた。試合後、勝利した強敵は喜ぶどころか悲壮感満載。そりゃそうだ。正直これまで「カモ」にしていて2週間前の公式戦もボロ勝ち。正直ナメてかかっていたのかもしれない。反して負けた学生達は笑顔満載。半月前にボロ負けした相手に窮地にまで追い込めた。しかも、何かを掴んで2週間練習に取り組んだ成果が早速出た格好だ。勝敗の面では残念だったが学生達の目は試合後も死んでいない。疲れた表情を一切見せない。いい傾向である。

 ジャイアントキリング。素人ながらそれを本気に思わせてくれる敗者の笑顔だった

(中村 勝之)

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味ひとすじ

 東京は連続真夏日が60日、我が家はお茶漬け海苔でおなじみの永谷園が2023年3月13日に発売した「パキット」が大活躍。「パキット」は、パスタソースが入ったパウチの中にパキッと折った麺と水を入れ、電子レンジで温め、蒸らしてぐるぐるかき混ぜるだけでパスタが完成するすぐれもの。麺をゆでるためのお湯を沸かしたり、最後に鍋を洗ったりする手間が省けるという商品である。

 日本経済新聞「ヒットのクスリ」(2023年7月7日)によると、新型コロナウイルス禍の巣ごもり生活で消費者の困り事として浮上したのが「1人分のパスタを作る面倒さ」だった。発案者の永谷園メーケティング本部の担当者も個人的に「もっと楽なパスタ製品はないか」と模索していた。そこで思いついたのが鍋を使わず、「ソースの中で麺をゆでること」。ソースの入ったレンジパックに乾燥麺を入れ、チンするだけ。簡単そうだがベテラン技術者からは「経験的に難しい」という答えが返ってきた。

 実際に試作に乗り出すと麺が焦げついたり、ソースの液体が大量に残ったり。それでも顧客目線で商品への文句に向き合い、食品成分などの見直しを重ねること約2年。1千回もの試作で、イメージ通りの製品がようやく誕生した。

 水を入れ、600ワットの電子レンジで6分ほどのチン。そのまま7分蒸らし、混ぜるだけで、ゆでたてのアルデンテを味わえる。調理中に別の用事もこなせる。永谷園によると鍋でパスタを作るより、調理や片付けの時間が7分ほど短いという。永谷園の企業理念は味ひとすじ。このため開発者がパスタの味を向上させるための外食に上限はなく、「もっともっと食べろと勧められる」とか。ヒットは現状に満足する行儀の良さより、批判や非難から始まることが多い。

 ちなみに永谷園によると、お茶づけは平安時代に貴族が天然の氷を切り出し、蒸したごはんを冷やしたのが源流とか。その後、武士が湯漬けとして食べるようになり、江戸時代には冷や飯をおいしく食べるため、庶民の生活にも普及したそうだ。創業者の嘉男氏は戦後に小料理屋のしめで、あられ菓子、のり、緑茶で食べるお茶漬けを見て、「一般の生活でも食べられたらいいのに」と考える。そこで編み出したのがロングセラー商品に育った「お茶づけ海苔」。本学も“味ひとすじ”で踏ん張れるか・・・正念場である。

(宮本 輝)

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2023年08月09日

コロナが明けて消えた風物詩

 今年に入ってコロナ対応の行動制限が徐々に緩和され、人々の流れがコロナ前の状況に戻りつつある。百貨店に代表される小売業界の売上の戻りや外国人観光客の戻りなど、定期的に数値が報道されている。こうした町中に人の往来が盛んに行われる様を見るにつけ、「戻ってきたな」と実感させてくれる。我々の実感レベルで言えば、夏に開催される催事の復活が挙げられる。私の住む関西地方で言えば、祇園祭が通常開催されたのは喜ばしい限りである。また、全国各地で花火大会が復活したのも喜ばしい。こうした季節ごとの風物詩の復活も「戻ってきたな」と実感させてくれるものである。

 学校業界特有の風物詩と言えば何といっても卒業式と入学式である。あくまで私の職場の場合であるが、特に今年は入学式後に対面でのクラブ勧誘が復活し、桜が散った後ではあったが華やかな雰囲気がキャンパスに広がったものである。黄金週間を過ぎると落ち着いた雰囲気がキャンパスに広がるのもいつもの風景である。そんな中、コロナが明けてなくなった風景がキャンパスに広がっていた。

 それは学期末のキャンパスの閑散とした雰囲気である。コロナ前であれば、学期末ともなれば試験やレポート対策で学生達がキャンパスに足を運び、それまで落ち着いた日常が学期末の数週間は俄然騒々しくなったものである。無論、今年は梅雨明け以降災害レベルの猛暑が続いているから、それを嫌って通学しなくなったというのはあり得る。それ以上の要因だと個人的に思っているのが、学期末に試験ではなくレポートになった授業が圧倒的に多くなった事と、レポート課題の提示・提出がオンライン上で行われる様になった事が大きいと思われる。レポートに関わる質疑応答もオンライン上で行われるため、学期末にわざわざキャンパスに赴く必要がなくなった訳である。これが続く事になれば、興津氏が予てから指摘されている様に巨大なキャンパス維持が学校経営に悪影響を及ぼす事になるかもしれない。

 そんな中、私は対面授業本格復活に当たり、レポート課題の提示・回収・フィードバックの全てを原則対面で行うことにした(因みに、職場で春学期開講の約1200の授業のうち、公式に対面でのやり取りをしたのは私だけである)。事情により授業を欠席した受講生対応でオンラインを活用した。これで大学生に嫌われたのなら仕方ないと半ば開き直ってはいたが、概して評判は良かった。これはオンライン上でのレポートのやり取りからの差別化を図るとの同時に、提出されたレポートのフィードバックには対面で行った方が教育上の効果が高いとの判断が受講生には好印象にとって貰えた格好だ。

 恐らくだが、レポート課題等をオンライン上でやり取りする流れは止まらない。現時点では教育上の効果よりの講義進捗上の「楽さ」を選んだ結果得あるが、楽を求める人間の欲求自体は止められない。だが、そこはアラフィフな私。トレントと異なる方向なのは重々承知の上、敢えて昔ながらの講義スタイルを続ける事でキャンパスの風物詩を守っていきたい。

(中村 勝之)

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