2022年09月07日

受験勉強の「できる子」はなぜ「できる」のか?

 何十年か前の話。子どもが難関大学に進学すればご近所さんや親戚連中から褒め称えられたものだ。その子どもが超のつく有名企業に就職できても似た感じだったろう。それが微妙な評価になってから久しいと言われているが、昔から言われる「いい所」へ希求する心理も厳然として残っている。

 難関大学に進学したという事実が微妙な評価になったのは、高等教育の大衆化の当然の帰結の1つであって、所謂「大卒」が増えた事で難関大学の評価が相対的に低くなったからである。無論、高等教育の大衆化は必ずしも難関ではない大卒者の成功事例も増える結果をもたらすので,この事態も難関大学の価値を相対的に引き下げる結果になるだろう。一方、かつての有名企業の評価が微妙になってきたのは、技術進歩にもとづく新財の登場が人々のライフスタイルを変え、それが産業構造の変革をもたらしたのが1つの要因だろう。それに伴う価値観のズレもかつての有名企業には不利に作用したのかもしれない。

 ここ最近、定期的にFMICS例会で高大接続等の「モヤモヤ」がテーマになっているが、変な話、このテーマが継続している裏には、参加した時点で解消されたと思えたモヤモヤがちょっとでも時が経てば再度湧き立ってしまう実情があると思われる。ここで、昔から今に残る価値観をA群、A群とは異なる新規の価値観の一連をB群とすれば、たとえば、B群に立脚した報告を聞けばA群に立脚した疑問が湧く。逆は逆で、A群に立脚した報告を聞けばB群に立脚した疑問が湧く。こうした反芻が脳内を駆け巡る限り、モヤモヤは解消される事はないのではなかろうか。

 教育論における新しい議論はとかく旧来の議論を全否定する形で立論される。無論、反動が起こった際には新しい議論を全否定する形で旧来の議論が蒸し返される。これをA群・B群の話に置き換えれば、両群の共通部分は存在しないかのような印象を与えるし、圧倒的多数の教育関係者はそう思うだろう。これを高校数学の集合論で言えば、集合Aと集合Bの共通部分(A∩B)が空集合(φ)となると思っているようだ。

 無論、教育業界に携わる者として集合Aと集合Bの和集合(A∪B)を目指すべきだとする主張も可能である。ただ、これは組織の目的として備えておくべき事項であって、個々の教職員に要求するべき物ではないし、仮にそれができる人材が存在するとしても、徒にそれを一般化するべきではない。個々の教員にとって疑問を差し挟むべきは集合Aと集合Bの共通部分(A∩B)が本当に空集合(φ)なのか? 高大接続の関連で言えば、旧来の受験指導と総合型選抜に即した思考力・表現力を鍛える教育方針に共通部分が本当に存在しないかどうか、ここを疑うべきである。

 この疑問への回答になるかどうかは分からないが、そのヒントとして、拙著『学生の「やる気」の見分け方(文庫改訂版)』の終章で紹介した「学び習慣仮説」、もしくは「ラーニング・ブリッジング」の内容を紐解くのをお勧めする。

(中村 勝之)

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審判の甲子園

 第104回全国高等学校野球選手権大会は「審判」の「言葉」が注目された大会だった。コロナ対策で大声での応援ができず、審判の声が聞こえやすくなっていることも背景にあるとのこと。審判の多くは会社員などの本業と両立している。

 開幕戦となった国学院栃木(栃木)と日大三島(静岡)戦は、10−3と点差が開いた。球審の尾崎審判は試合後、両校がホーム前で整列すると、うつむく三島ナインに「大丈夫や、上を向け。甲子園で試合ができたことは誇りや。胸を張って終わります。礼」と声をかけて試合を締めた。

 八戸学院光星(青森)と愛工大名電(愛知)の2回戦では、延長10回、名電が美濃十飛外野手の一打で劇的なサヨナラ勝利。実に1981年夏以来、41年ぶりとなる夏2勝目を挙げた。今大会は6月に心不全で急逝したチームメイトの瀬戸勝登さんの思いも背負うナイン。試合終了後、勝利球を受け取った球審の金丸審判は、主将の有馬伽久選手に何事もなかったようにそっとボールを渡した。「勝登と共に」と頂点を目指すチームに粋な計らいとなった。

 新型コロナ感染が広がり、主催者の異例の配慮で第8日に初戦が組まれた浜田(島根)−有田工(佐賀)戦。5−3で浜田が18年ぶりの甲子園勝利を飾った。試合終了後、両校が整列すると球審の尾崎審判が「試合ができたのは奇跡。甲子園でプレーできるありがたさ、感謝の気持ちを持ってほしい」と選手に声をかけた。

 今春センバツ1回戦の敦賀気比(福井)−広陵(広島)では、二塁塁審のジャッジミスを認め、球審だった尾崎審判が場内アナウンスで「私たちの間違いでした。大変申し訳ありません」と謝罪。ミスがなかったらと仮定した状況からプレーを再開させ、関係者からも称賛を浴びていた。

 また山口智久審判員もSNSなどで高校野球ファンの話題になった。一塁、三塁の塁審はスピーディーな試合進行のため、イニング間に守備に回る側のベンチへ近づき「追い出し」と呼ばれるかけ声を行う。山口審判員は「切り替えていこう」「ここが勝負どころ」「集中して」など、試合展開に応じた声かけで選手の背中を押した。

 決勝の球審を務めたのも尾崎審判。球児に寄り添う姿が印象的で試合中に声をかけたり、笑って背中をポンとたたくシーンがあった。優勝決定後は速やかな整列を促し、全員がきれいに並び終わるまで時間をかけて待つと「終わります!」と声を張り上げたという。

(宮本 輝)

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2022年08月04日

前期最終講義における1コマ

 今回は職場の1回生向けの演習の最後に私が語った事項について、思い出しながら文字起こししてみようと思う。

 今回のグループ・ワークでは、組織・グループにおけるリーダーシップとは何か、キーパーソンは誰かについて考えてもらい、発表してもらいました。各グループがそれぞれ大事と思う事項、たとえばリーダーシップなら「責任感がある」「行動力がある」「メンバーとの調和がとれる」など、キーパーソンなら「サポート役」などを指摘してくれました。話を聞いていて、皆さんは『じゃぁ、どれが正解なんだ?』と言いたくなったかもしれません。これに対する私の回答としては、たとえばリーダーシップやキーパーソンについて【僕・私にとっての】という接頭語をつけるべきだと。

 たとえば、【私にとっての】リーダーシップとは「いざと言う時に謝れる事」だと思っています。組織トータルとして調子がいい時は各メンバーの調子も総じていいはず。そんな時にリーダーのなすべき事はありません。でも、逆のシチュエーションが起こった時、全ての責任を一身に引き受けて謝る事って一見簡単な様でおいそれとできるものではありません。リーダーの謝罪1つで不調の根源を一掃し、復調のきっかけにならなければならないからです。それだけの胆力のある事、それが【私にとっての】リーダーシップだと考えています。

 一方、【私にとっての】キーパーソン、これには2種類あります。1つは「私より賢い人」もう1つは「地味ながら丁寧に業務をこなせる人」です。今回皆さんが指摘してくれたリーダーシップの要素、これらをすべて持ち合わせている人、言うなれば全能・万能な人ってまず世の中に存在しません。むしろ、不得手な部分の多いリーダー像というのが普通だと思います。その時、任務遂行に必要だが自分にとって不得手な部分があれば、得意な人に一任した方が成功確率は上がるはずです。私がリーダーになるんだったら、受任のための絶対条件は私より賢い人を私のそばに置くことを主張しますね。彼らに任せていたら間違いありませんし、無知な私が口出ししたって何ひとついい事ありません。

 一方、組織・グループにとって生じて困るのがミスです。しかも、その発見が遅れるほど事態は深刻になっていきます。ところが、人はミスする存在です。そうなってくると、組織・グループにとって何が大事かと言えば、ミス生じさせない様にするのではなくそれを早期に発見する事です。その際に役に立つのが丁寧な仕事をするメンバーです。丁寧に仕事をする人の何が丁寧かと言えば、やった事に対する確認作業を確実に遂行する点です。私は割と確認作業を丁寧にやる方ではあるんですが、上には上がいるもの。鬼気迫る勢いで確認作業をする人がいる。そんな人がメンバーにいるんだったら鬼に金棒、ミスから生じうる損失を最小限に食い止める事が可能になるはずです。

 この辺の話は、それこそ皆さんの倍以上の時間を生きてきた中で導き出したもので、だからこその【私にとっての】な訳です。勿論、異なる経験をすれば導き出される【私にとって…】は変わりますし、同じ経験をしても何処に力点を置いて次に活かすかで【私にとって…】のあり様は変わります。それで行くと、ネットで調べた内容や先輩・同期・後輩に聞いた内容は、結局の所【僕・私にとって…】を導き出す際のサンプルとしての役割しか果たさず、【僕・私にとって…】の答えにはなり得ません。くれぐれもここを間違えないようにして頂きたい。

 このクラスでは就活絡みで様々なトピックを扱ってきましたが、皆さんにとって本当に大事なのは業界情報を得たり、企業研究をしたり、インターンシップに参加したり、各種対策講座に参加したり…ではなくて、大学生の時間で経験するあらゆる事柄から「【僕・私にとっての】〇〇」の「〇〇」の部分を少なくともひとつ、見つけ出すことです。これは皆にとって強力な武器になりますし、窮地に陥りかけた時のクッションにもなりますし、周囲のプレッシャーを跳ね返す盾にもなります。資格より、留学経験よりも、インターンシップ経験よりも遥かに皆さんの力になります。学生生活は始まったばかりですが、ここを目指して日々頑張ってください。

(中村 勝之)

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2022年07月06日

何かあったらどうする症候群

 KDDIの通信障害、ネットやスマホがいかに生活に入り込んでいるか思い知らされた。そして原因がはっきりしないまま修復に励む技術者らの苦労はいかほどに。日本経済新聞6月8日「スポーツの力(北川和徳編集委員)」の『何かあったらどうする症候群』を読み返した。

 元陸上の為末大氏が先日、SNS(交流サイト)で私たちの国は「なにかあったらどうすんだ症候群」にかかっている、と発信していた。それは社会に安定と秩序をもたらすが、副作用として停滞を生み。個人の可能性を抑制するという。この症候群は、未来を予測してコントロールできるものと考え、その逆算でしか物事を判断できない。だが、実際には、予測しないことが必ず起きる。それをイノベーションという国もあるが、この国では「危ない」や「予想外」となる。ここから抜け出るためには「やってみよう、やってみなけりゃわからない」を、社会の合言葉にしなければ。

 北川氏は、変化を恐れ、安定と現状維持を無意識に優先する雰囲気が、社会の意思を決定し、その結果、世界の変化に追いつけず社会の劣化が進み、デジタル技術でイノベーションとか生産性の向上とか力んでも、これでは絵空事で終わるしかないと指摘する。さらに、未来は予測もコントロールもできないと覚悟した上で、リスクを正しく認識して最小限に抑える備えを怠らず、物事の優先順位を考えて行動することが重要であり、今なら昔よりずっと効率的にそれを実行できるはずとし、大リーグの中継で気がついたことを説明する。正反対のことが当たり前のように行われている。故障を回避するため投手は約100球で交代、主力選手もよく欠場する。一方、守備では無謀にも見える極端なシフトを敷く。どちらもその背景にあるのは最新のデータ分析や医科学の進化。そして選手生命とゲームの勝敗の優先順位。価値を最大化するためのリスク管理といえるだろう。スポーツだからできるという意見もあるだろうが、スポーツから学べることはたくさんある。

 東京都心、9日連続で猛暑日の最中にオープンキャンパスがあり、急きょ水とアイスを提供することになったが、業者から某高級アイスクリームが納品、まさに「予測しないことが必ず起きる」。請求書が届いたらどうするか…、最近の「合言葉」である。

(宮本 輝)

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2022年06月03日

先を見るために過去を振り返ってみようか

 本誌で本欄「裏巻頭言」を執筆し始めて丸3年が経過し、4年目に突入した。雑談めいた話から何らかのメッセージを盛り込む、言葉にするのは簡単だが、日常業務に埋没すると早晩書くネタが尽きてくる。毎号「何にしようか…」と微小な脳内をフル稼働させて考えるのが、ほぼ月末の恒例となっている。

 さて、4月からFMICS例会はポスト・コロナを素材に扱っており、先の教育現場を考えるようになった。そこで、今号では過去の本欄でコロナに関して私が記したことを振り返ってみよう。2020年5月の裏巻頭言の記述を(少々長いが)振りかえってみよう。タイミング的には最初の緊急事態が宣言され、ほぼ全ての教育機関がストップした時期であり、さまざまな意見が錯綜していた。その中で「9月に新学期を!」と言う主張に対する私見が以下のものである。

 「これまで遠隔授業を実際にやってみた実感としては対面授業と遠隔授業、両者で学力面での有意差は「確認されない」だろうと言う事である。遠隔でミニッツペーパーもどきの作成課題を学生に与えたのだが、それを実際に採点してみて、対面でやっても大差ないだろうと言うのがその感覚的根拠である。ちょっとした事であるが、ある程度の文量を書かせる課題において、資料等からそのまま抜き出すだけの物と自分なりに考えて自分の言葉で書こうとするのとでは雲泥の差がある。そして、自分の言葉で纏めようと苦闘する学生ほど追加情報に敏感である。おそらくだが、追加情報に敏感な学生は対面授業でも敏感に反応するはずである。変な話、鈍感な者は何をやっても鈍感なものである。少なくともボリュームゾーンにとって、遠隔授業による学力低下という悪影響を受ける事は少ないだろうから、これを理由に新学期を9月に移行した所で(学力で見た)状況の本質は変わらないだろうと言う事である。」

 私の担当科目についてはこの当時の予測が当てはまったと見ていいだろう。一方、平均的な学力面については微妙である。全般的に落ちたというより、コロナへの対応が迅速だった者とそうでなかった者との差が出た…こんな感じだろう。結局、いつの世も「先に走った者の勝ち」(経済学の言う創業者利得)なのである。無論、「少し後ろから追いかけたが勝ち!」(経済学の言う後発性利得)もアリなのであって、その辺りは強かに生きて行こう。

 で、同号の締めくくりにかけての記述も振り返る。

 「学期をずらす事は時間のタイミングをずらすだけの事だから、教科内容が不変である限り、9月新学期という制度変更は事の本質を大きく変えないだろう。むしろ、制度を定着させるまでに投入された有形無形のコストをその後の定着で回収できる保証はない。そして、このコスト増が大学経営を圧迫させる事は確実である。そう考える時、9月新学期説は大学大粛清の幕開けなのかもしれない。

 それを避けたいのなら、早急に(段階的にせよ)対面授業を復活させる方策を模索することである。これが私立学校の経営状況にとっても、教職員および学生のメンタルヘルスにとっても最善の方策である。」

 2022年度に入ってようやく本格的な対面授業が復活してきた。友達や先輩・後輩と直接触れ合える。そのために身綺麗にして…そういう心理作用があるだけで、マスク越しでも学生の表情が明るくなっているのが分かるし、キャンパスが華やかになる。

 キャンパスはこうでなくっちゃ…と思いながら遭遇したタヌキとにらめっこする私であった。

(中村 勝之)

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梅雨を蹴飛ばせ

 今年の5月は5月病になる暇もないくらい怒涛のごとく過ぎ去ったが、心の支えになったのは朝日新聞「多事奏論」近藤康太郎氏の「19歳のあなたへ 失敗する権利 人間にはある」(2月19日)「向かない会社に35年 いや、おもしろく働ける」(5月7日)であった。

 「19歳のあなたへ」は大学入学共通テストのカンニング問題で「ふみはずした」19歳のあなたに向けての励まし、そもそも大学入試の受験勉強に対して、勉強は何のためにするのかを問いかけている。そもそも勉強には終わりがなく一生続くもの、勉強は役に立つかどうかもわからない。勉強しない人間は、ちょっとばかり成功すると「自分は特別」と愚かにも思い込む。でも勉強する人は知っている。「人間なんて どっこいどっこいだ。」 取り巻きを1万人以上集めて花見をする権力者も、莫大な費用をかけて宇宙旅行する大金持ちもべつにえらくない。つまり、勉強するのは「人にやさしく」なるためなんです。野生のけものは失敗できない生き物です。逃げ方をしくじると、天敵に食われてしまいます。失敗は死に直結する。でも人間は一度過ちを犯しても、やり直せるんです。長い年月をかけて、そういう社会を、システムを築いてきたんです。それこそが人間の勉強の成果です。人間には失敗する権利がある(人間は失敗してもいいのです。やりなおせるのです)。もう一回頑張りましょうよ。

 「向かない会社に35年」は「19歳のあなたへ」を授業の教材に使った学校の生徒の感想から始まる。多感な中学生は舌鋒鋭い。「理科の化学式、数学の連立方程式だって将来使う場面があるのか疑問。国語の詩だって将来使いますかね」、「勉強とは大人になることといってるけど、大人になって良いこととか大人になってなにがいいのかわかりません」。誠実に答えると難しい問題だ。そして働くといえば、気になる記事を読んだ。今春の新入社員はコロナでオンライン生活に慣れきっている。だからリアルな会社や通勤が「しんどすぎ」なのだそうである。そもそも会社の与える仕事がおもしろくないのは、ふつうだ。他人に与えられたモノはつまらんものだ。会社内で新しい仕事を創る。また、会社に全体重を預けない。社外でも働くチャンスはある。かもしれない。そんなの分からない。試す。失敗しても死にやしない。ていうか、毎日24時間ずつ死んでいるんだ。働くのはおもしろい。いや、おもしろくできる。そして、人間は人生の大半を働いている。ということは、働くのをおもしろくできた人は、ハッピーな人だ。ハッピーな人が多い社会は、住みよい社会だ。

(宮本 輝)

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2022年05月06日

リーダーなんて、やるもんじゃぁないな

「捨てる神あれば拾う神あり」と言うべきか、「貧乏暇なし」と言うべきか。

 誰もやりたがらない仕事の1つに一段落ついてホッとしていたら、縁あって、某体育会系クラブの部長に就任する事になった。どうせお飾りだから…と何も考えずに部長就任を受託した途端、来るわ来るわ、色んな仕事が降ってくる。その中で一番の驚きは、試合に帯同するのも(観客席から)応援する程度だと思っていたら何故かベンチ入りメンバー。何故か円陣の中心に私がいる。スポーツ観戦自体は割とする方だが、プレイしたことなどない競技。そんな中で試合の前後に声掛けする。監督からは「試合にはそこまで来なくて良いから…」等と言われて安心していたのだが、(立場上というのもあるが)選手とてやはり学生。学生の傍で彼らの事を感じて痛い…そう思うようになって、ほぼ毎試合ベンチに入っている。

 プロスポーツでもそうだが、選手のプレイ面での責任者は監督・コーチ・トレイナーになるが、集団としての責任者は現場から少し離れた所に位置する人間が担当する。その方が組織としては上手く運営できるからである。それでつくづく思うのが、「リーダーはどんな人材が担うべきか?」という事である。学生の扱いと言う点においては私とて経験を通じて一家言は持っている。ただしそれは学生の学習面が主要領域であって、それ以外では皆目見当がつかない。それ以上に、運動をメインにした学生の面倒なんて見た事がない。サポート役なら何とかなりそうだが、部長である。クラブという組織の責任者の立場である。恐らくだが、何らかの意味でのリーダー的役割を私が担わなければならない訳だ。そこで上記文言が頭をもたげるのだ。

 私は比較的若いときからリーダー的役割を担う位置に立つことが多かった。そんな中で、私の中で割と納得できる結果を得た組織というのには共通点がある。それは私より有能な人材が私の傍にいたときである。そりゃそうだ、私は全能ではない。寧ろ苦手とする分野の方が多い。それでもリーダー的役割を全うできるのは周囲に優秀な人材がいるからに他ならない。それが自覚できているからだろう、周囲に対する尊敬の念は自然に湧くし、感謝の言葉も自然に出てくる。周囲に評価される成果が出たとしても私の手柄と喧伝する事はない。周囲の手柄なのだから。

 無論、私の経験を一般化するつもりは毛頭ないが、少なくとも一般的にイメージされる強力なリーダーシップやカリスマ性はリーダーの資質として相応しくないと個人的に思っている。「リーダーになりたい」という人がいるとしたら、「自分よりも賢い人間を傍に置け!」と伝えたい。そっちの方が風通しのいい組織ができるはずだ。

(中村 勝之)

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「魔改造」結果から学ぶもの

 4月から人事異動で新しい部署に勤務、対面授業も再開し、学生や教員が一気に動き出し怒涛の日々、FMICSの大先輩にサポートしてもらう中で見かけた記事(2022年4月21日読売新聞「アンテナ」戸部田誠氏)に思わず共感した。

 本来の用途を逸脱し、通常ではあり得ない改造をする「魔改造の夜」(NHK・BSプレミアム)、番組では「身の回りの家電やおもちゃのリミッターを外し、大人げないパワーのモンスターに改造する行為」と定義、それを日本トップの「T大学工学部」、下町工場「H野製作所」、自動車メーカー最大手「T車」といった超一流のエンジニアたちが競い合う内容と説明する。お題はトースターでいかに高くパンを跳ね上がらせるかを競う「トースター高飛び」、歩く犬のおもちゃのスピードを競う「ワンちゃん25メートル走」といった、いずれもバカバカしいもの。だが、エンジニアたちはどこまでも本気。プライドをかけ全身全霊で知識、発想、技術を注ぎ込む。

 ここからが本題、そのスピンオフ的な番組として今春からEテレで始まったのが「魔改造の夜 技術者養成学校」。「教官」の劇団ひとりの進行で、様々な技術者たちを講師に招き、番組で行われた競技の結果を基に、アイデアや技術、スキルを学ぶというもの。例えば「扇風機50メートル走」で優勝したベンチャー企業「Sライズ」のリーダーが講義したのは「技術とリーダーシップ」。会議で仕切るときはホワイトボードのペンは他人に渡さない、初日に目標を設定する、できることを信じさせるのがリーダー最大の役割―といった実践的な心得を伝えていく。

 失敗例の検証も行う。「赤ちゃん人形綱登り」の競技で、大本命と目されながら失敗した大手自動車メーカー「N産」のミスを題材にしたのは、「失敗」が死に直結してしまう宇宙飛行士の大西卓哉氏。「N産」のマシンは精密に作られながらも、安全に停止するために頭上につけたスイッチが作動するハプニングでゴール直前に止まってしまった。次の試技でもトラブルで動かなくなった。原因は、時間がない中、急きょ停止スイッチの位置を移動させ、配線が飛び出たためだった。「普段ではありえないミスが発生してしまうのが本番。常に緊急事態を想定した訓練を行わないといけない」と大西氏は説く。実際、宇宙飛行士の訓練では、7年にわたり失敗を想定した訓練を繰り返すとのこと。

 これらの講義内容は技術者のみならず、あらゆる「仕事」に通じるもの、そして「魔改造の夜」の裏で何が起きていたのかもよくわかり、番組の奥深い魅力がリミッターを外したようにあふれ出てくると戸部田氏。失敗は成功のもと!

(宮本 輝)

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2022年04月01日

新年度の訓示っぽく

 2022年度の始まりに当たり、今回は少々趣を変えて話してみようと思う。

 さぁ、2022年度が明けました。私は桃山学院大学経済学の中村と申します。ここでの皆様との出逢いを大切に日々邁進していこうと思います。本日は新年度に当たり訓示…ではありませんが、少々堅いご挨拶をさせて頂こうと思います。

 ここ数年、「VUCAの時代」などと呼ばれる様になりました。VUCAのVはVolatility、変動性・浮動性ですね。VUCAのUはUncertaintyで不確実性、CはComplexityで複雑性、最後のAはAmbiguityで曖昧さです。要は何がどう動いてどこに着地するのか、さっぱり予測できない時代になったと言う事でしょうか。こうした時代状況をどう生きていけばいいのか? この課題に対する教育部門の役割はこれまで以上に重責を担う事になるでしょう。

 とはいえ、「VUCAの時代」と言う、キャッチ―と感じる時代表現は教育現場にとって邪魔な概念になる可能性を含んでいます。「何が起こるか分からない」と言い出したら、いくらでも事象を挙げる事ができます。自分の周囲に大地震が襲う、車が突っ込んでくる、カラスに襲われる、絶世の美女・美男に告白される…、挙げたらきりがないと思います。「そんなん、起こる訳ね〜だろう」とお思いでしょうが、本当に起こらないんだったら、それを論理的に証明する必要があります。でないと安心できませんから。でも、一人の力であらゆる事象の実現する程度を明らかにする事なんて不可能ですから、あらゆる人と協力・分担して作業に取り掛かるはずです。で、全てを明らかにできたとします。が、それは少しの時間の経過で妥当性・頑健性が怪しくなってきます。VUCAなんですよね? 証明に際して採用した前提だってどうなるか分からないんですよね? そう考えると、せっかく苦労して確かめた事が瞬く間に役立たず…。ここまでイメージした時、人ってどんな振る舞いをすると思います? 答えは簡単、「何もしない」徒労に終わるのが分かってる事に対して膨大なエネルギーなんて注ぎませんよ、人間って。そう、人間って面等臭がりな存在なんですよね。つまり、「VUCAの時代を考えよう」と言う程、それを聞いた人の最適解は何もしない、考えないと言う事になってしまうんですね。これはまずそうですね。

 上の話、もっともらしいのですが、考えねばならない部分があります。先に挙げた事例、大地震、交通事故、野生動物の襲撃、告白。これらはどちらかと言うとアクシデントに近い。告白を除けば、これら事象は事前に予防策を講じる事はできる。でも、予防策を超えた所でやってくるのがアクシデントでしょうから、究極的な対応としては反射に近い訳です。変な話、考える暇があれば反射を鍛えようと、こんな話に着地してしまいそうです。

 もう1つの着地としてはこんなのがありそうです。起こりそうな事象を「…があるかも」とした時、何を考えれば良いのかと言うと「どうする」になります。これについては似た事象とその対応の経験をかき集めて総覧すれば割とレベルの高い答えに到達しそうです。この到達したもの、これがまさにマニュアルであり、教育実践としてはマニュアル作りに落とし込む事ができそうです。

 なるほど…と思われたかもしれません。片手落ちかな…とも感じられたかもしれません。ここまでの話は「…があるかも⇒どうする?」という図式で、VUCAがどこに関わるかと言えば「…があるかも」つまり前提の部分です。でも、我々の日常、そして教育現場において意外と多く直面するのが「こうする⇒どうなる?」という図式です。この場合、VUCAは「どうなる?」つまり結果の部分に関わります。そもそもの立脚が違いますから、ここまでの着地点の候補である反射やマニュアルでは話にならないのはもうお判りでしょう。じゃあ、どうすればいいのかという話になるんですが、そのアプローチや方法論がありそうでなかったり、なさそうで案外あったりします。何故かようにくどい言い回しになるのかと言えば、「どうなる?」のキャッチの仕方が人それぞれ違うからです。個々人で違うのはもちろんですが、世代間でも全然違うんですよ。ここを直視しないと「なんのこっちゃ?」で終わってしまい、これが折り重なれば学びから逃げる若者を大量生産してしまうかもしれません。

 これはあくまでも私なりの着地点ですが、「どうなる?」の処で関わってくるのが初等・中等教育での学習内容、高等教育での学習内容はもちろんの事、教育機関を中心にして若者が体験すること全てであると言う事です。こう言えば組織としてどうすべきかと議論が行きがちですが、無論、この辺は学校の対外アピールを中心にした重要事項であるのは間違いありませんが、あくまで若者が体験するのは先生と言う個人との関係性の中でしか実現できない事ばかりです。その意味で、皆さん一人一人が「どうなる?」をできるだけ沢山キャッチして、それを若者にどう伝えればいいか? ここを自分の中で明確にしておく事が肝要
ではないかと思うんです。

 何やら尻すぼみな話に行ってしまったようですが、ここはザ・大学教員クオリティと言う事でお許し頂ければと。以上、私からのご挨拶は以上でございます。有難うございます。

(中村 勝之)

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動かず、動かす

 2022年、消費は盛り上がるのか、どんなヒット商品に期待が集まっているのか。博報堂生活総合研究所がまとめた「生活者が選ぶ2022年ヒット予想」(2021年10月28日発表、1008人回答)を紹介する。2021年に世の中で注目されたと思われる商品やサービス、コンテンツなどを生活者に提示し、「2022年以降、話題になりそう/人々の生活に普及・浸透していそう」と思うかを調査。本レポートは、「そう思う」「ややそう思う」という予想の強弱を反映するよう結果をポイント化したランキングと、ヒット予想の理由を分析しまとめたものである。全体のランキングは、1位「フードデリバリーサービス」、2位「無人・非接触サービス」、3位「オンライン授業/学習」、4位「携帯電話新料金プラン」、5位「オンライン診療」、6位「副業」、7位「オンラインイベント」、7位「電気自動車(EV)」、7位「オフィス革新」、10位「SDGs」。

 “2022年ヒット予想” のキーワードは【動かず、動かす】。ヒット予想の上位をみると、【動かず (=小さな動き、効率的な働きかけで) 】、【動かす(=大きな充実や喜びを引き出す)】商品やサービスに生活者は注目しているとのこと。小さな動きで大きな喜びが得られるように活動する4つの【動かず、動かす】を紹介している。

@場所を動かず、満足を得る:1位は「フードデリバリーサービス」。また「オンライン授業/学習」(3位)、「オンライン診療」(5位)、 「オンラインイベント」(7位)などのオンラインサービス関連、「家飲み」(13位)、「eスポーツ」(19位)などもランクイン。家ナカの機能を充実させつつ、居ながらにして満足を引き出すことが注目されている。

A人や組織に合わせず、活動を広げる:「無人・非接触サービス」(セルフレジや無人店舗、ロボット給仕など)が2位。わずらわしさがなく効率的と評価。「副業」(6位)や「ソロ活」(17位)、「資産形成・資産運用」(23位)もランクイン。これらは、人や組織に合わせて動くのではなく、身軽に個人の力を発揮していこうとするもの。

B手間をかけず、楽しみを味わう:「冷凍食品・レトルト食品」が12位。利便性だけでなく、美味しさやバラエティ拡大など昨今の進化も評価され、期待が示されている。 「自動運転レベル3」(27位)もランクイン。こちらも技術進化が加速しており普及が予想されている。また、「国内旅行」が11位に入ったことについては、コロナ禍が仮に鎮静化しても、海外よりまずは手軽でリスクも低い国内からということでしょう。

C構えすぎず、社会に関わる:「電気自動車(EV)」が7位、また 「SDGs」(10位)、「LGBTQ」(13位)など社会的なテーマもランクイン。商品選択で普及を後押しする、情報発信で賛意を示す、できるところは協力するなど、ひとりひとりは身近な関わり方ながら、社会全体の改善への動きは注目されると生活者は捉えている。

 まもなく4月、【動かず、動かす】で学生さんを迎えます。

(宮本 輝)

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