2025年02月05日

第三の領域

 先日、ある大学の「ダイバーシティ・センター」なる場所を訪問した。センターは、性別や性自認に関わる「多様性」へ配慮した教育研究の環境整備を目的として設置された。このセンターで業務の中心的役割を担っているのは「コーディネーター」だという。高度な専門性が求められるため、外部から人材を有期で登用しているそうだ。

 近年、大学では「SDGs」や「カーボンニュートラル」「ダイバーシティ」に関わる社会からの要請に応えるために、上述のような組織を新設する動きがみられる。教員や職員を配属する場合もあるが、とりわけ専門度の高い分野では、「専門人材」を外部から採用するケースが一般的のようだ。

 大学業務の多様化や高度化に伴い、教員と職員が管轄する二つの領域にまたがる、もしくは個別に専門性が求められる「第三の領域」は、一層拡大しているのではないだろうか。2015年に、文科省が行った調査(大学における専門的職員の活用実態把握に関する調査)から10年が経過している。この間、多様化や高度化が進展し、URA、産学連携コーディネーター、IRerやFDer、教育支援コーディネーター、地域連携コーディネーター以外にも、その領域は以前より多岐に渡っていると推察される。

 現在、私の配下には、特許など知財管理を行う専門嘱託と、産学連携コーディネーターが置かれている。外部から登用している専門職のマネジメントは初めての経験だ。これまでの部局におけるプレーヤーとしての知識や経験を活用できないこともあり、新たな知識やマネジメントスキルの必要性を日々痛感している。専門性が高い領域のため、自分がプレイングマネージャーとして関わるにも限度がある。思うように組織としての成果を残せず、悪戦苦闘する毎日だ。

 専門人材の登用が増加すれば、既存の教職員や組織との連携、専門人材のマネジメントなどをはじめとした、新たな課題が顕在化していくかもしれない。そうなれば、関連する職員には、これまでとは異なる業務やスキルが求められることになるだろう。

 「誰が、どんな仕事を行うか」という問題は、多様な業務で構成される大学組織には、常に付きまとう問題だ。「第三の領域」に求められるような新たな人材や、「AI」や「IT」などの新しい技術を、問題の解決に活用できる「選択肢」ととらえ、前向きに取り組みたい。

 一方、大学の雇用や人事制度の考え方は、変わらず旧来のままだ。新たな選択肢が増えていることを踏まえれば、組織作りの設計図を描き直すことは、一層重要になってくるだろう。今ある人材の配置方法や組織の連携に関する仕組みの在り方を工夫することによって組織を活性化することができるかもしれない。私たちが、大学にある「古いシステム」から脱却することができるかどうかが焦点となりそうだ。

(佐藤 琢磨)

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2025年01月08日

2025年 〜超・超高齢社会の到来〜

 2025年は、約800万人といわれる「団塊の世代」が75歳以上となる「超・超高齢社会」を迎える。全体の20%、5人に1人が75歳以上という社会だ(一般に、65歳以上の割合が21%を超えた社会は「超高齢社会」と呼ばれ、日本はすでにその段階に入っている)。この変化によって、雇用、医療をはじめとした広い領域にわたって深刻な影響を及ぼす諸問題を「2025年問題」と呼んでいる。具体的には、労働人口の減少により生じる「社会保障費の問題」。従来の医療・介護等の体制維持が困難になる「医療・介護体制の問題」。また「国内市場の縮小」や企業における「労働力不足の深刻化」などがあげられてきた。ご存じのように、政府はすでに、各方面において様々な手を打っている。一例として、2025年4月からは、高齢者雇用安定法改正により、希望者全員の65歳までの雇用確保が、完全に義務化されることが決まっている(70歳までの雇用については努力
義務)。

 企業に関しては、激化する採用競争を勝ち抜くため「労働環境の改善」や「DX推進による業務の効率化や生産性の向上」「アウトソーシングによる人手不足の解消」などがあげられてきた。しかし、DX推進については、1,001名以上の大企業の96.6%が「取り組んでいる」一方、従業員100名以下の小規模企業では44.7%にとどまり、企業規模により進捗が異なるといったデータも示されている(独立行政法人 情報処理推進機構、DX動向2024)。

 勤務先の大学では、現在まで、基幹システムや全体業務に、有力な「DX」はみられない。AI活用を推進する組織的な取り組みも同様だ。例えば、最近では、多くの議事録作成ツールが発売され、オンライン会議ツールにも要約機能や文字起こし機能が搭載されている。しかし、これらの活用が、業務効率化対策として教職員全体を巻き込むような組織的な取り組みには至っていない。残念ながら、このあたりは「静かなる有事」にすでに飲み込まれ始めているような状況だ。

 総務省が、昨年の敬老の日に発表した報道資料によると、65歳以上の人口は「29.3%」で日本が「世界第一位」だという。また、世界人口が、現在の約82億から約97億に達する2050年には、日本の人口は約9,515万人まで減少するとも言われている(65歳以上の人口は39.6%)。これは、25年先の現実的な世界の話だ。恐ろしいことに、これらは、日常生活において、目に見える変化を伴わず進行するため、実感しにくい。2025年問題の後には、65歳以上の高齢者が人口の30%を超える「2030年問題」、さらにその後には、より深刻と言われる「2040年問題」が続く。私たちは、これまでどの「社会」も経験していない「未曽有の世界」にすでに突入し始めている。そして、これからその世界をなんとかして生き抜いていかなければならない。

(佐藤 琢磨)

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Ownership

 若い方には興味のない話かもしれないが,還暦を迎えて気づいたことがある。日本の平均寿命が長いのは医療制度が充実しているから。特に薬で生かされている現実がある。厚労省が公表している「高齢者の服薬に関する実態調査」によれば,1カ月に病院から処方された「常用薬」を服用している割合は約80%となっている。健康寿命は75歳あたりまでというが,これも常用薬あってのことかもしれない。かたや高齢者の犯罪率は上昇傾向にあって再犯率も高い(H29年度法務省犯罪白書)という。高齢者の比率が人口の約3割まで上昇している以上,仕方のないところでもあるが,再犯率の高さは何を意味するのだろうか。認知症や老化による影響もあるだろう。個人的には「当事者意識(ownership)の欠如」が要因のひとつなのではないかと考えている。「当事者意識」といえば, 780回例会で興津先生が問題提起された「人口減少」でも話題にあがり,つい先日の2024シンポジウムでも筆者が報告した「学びのかけ橋」で「当事者意識」の重要性を説いた。

 日本は「成熟した安全安心な社会(内閣府2018)」と言われるが,どれだけ国民一人ひとりが主体となって「安全安心に取り組んでいるか」は疑わしいところだ。日本財団がアジア・欧米の6か国の若者(各国千人)に実施している第62回18歳意識調査「国や社会に対する意識」によれば,質問7「自国の将来についてどう思うか」について「良くなる」は突出して低く15.3%。それ以上に「どうなるか分からない」と回答したのは31.5%と6か国の中で一番高いスコアとなっている。さらには,質問2「若者への支援は充実している」の回答は38.6%と,他国に比べ突出して低いだけでなく,「高齢者への支援は充実している」64.5%と,両者の乖離が他国よりも圧倒的に大きなことが特徴となっている。さらに,質問11「自身と社会の関わりについて」では,「自分は大人だと思う」49.6%「自分の行動で国や社会を変えられる」45.8%と他国に比べ著しく低い数値となっている。

 この調査は2019年から3回実施しているがいずれも同様の結果となっており,ここに日本社会が抱える課題の本質があるように思う。言い換えれば,この調査結果は若者に限定した事ではなく,大人の映し鏡になっているのではないか。という点だ。自身の周辺を眺めてみる。カスハラの一因ともいえる「サービス過剰」な社会。手取り足取りで教えるが「考えさせない」教育。枚挙に暇はない。こうした社会構造が「自立・自律」しない「日本人」を大量に社会に送り出しているのではないか。そして一様に(お薬とともに)高齢化して(ある意味において)磨きがかかる。

 どう解決していくべきか。その示唆を先日の2024シンポジウムで見つけたように感じた。別府大学の城さんがプレゼンテーションしてくれた「学びのかけ橋ってどんな橋?」である。ここにたくさんのヒントを確認できると思う。そして,城さんのようなたくましい若者をどう増やしていくか?が喫緊の課題であろう。と,他人事でなく自分事として捉えねばなるまい。

(新藤 洋一)

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2024年12月11日

N・S・R → Z

 11月中頃「ZEN大学」の来春開学が認定された。茶の間では、明石家さんまさんが起用されたコマーシャルを見かける。2016年にN高校を開校し、S高校(2021年開校)、R高校(2025年開校予定)の運営に関わる(株)ドワンゴが、公益財団法人日本財団とタッグを組み、学校法人を設立して運営する。定員は3,500名だ。少子化の厳しい環境下において、異例の規模での開校となる。

 ZEN大学は「収入」「居住地域」「性別」などの格差を解消し、全ての人に必要な高等教育を届けること、そして、「ネットとリアルを融合した日本発のオンライン大学」をうたっている。学部は「知能情報社会学部」1学部のみだ。カリキュラムは、「数理」「情報」「文化・思想」「社会・ネットワーク」「経済・マーケット」「デジタル産業」の6分野・279科目で構成されている。

 特にデジタル産業分野では「ゲーム制作論基礎」「マンガ産業史」といった科目が並び、アニメ、ゲーム、マンガ、IT、ネットを学べる点は特徴的だ。授業は、すべてオンデマンド型で行われる。1回の授業で10分程度の動画を6本視聴し、授業後に確認テストが実施される。動画数は、12万本以上だという。また、フィールドスタディにも注力している。地方や企業でのインターン、留学プログラムも整備され、特に、地域・企業連携プログラム数は、100を超える。学費は、国立大学の標準年額「53万5,800円」より低い38万円に設定されている。4年間の学費は、私大理系の1年分と同等だ。このような教育環境下において、最先端のAI・ICTツールを活用した実践的な学習を提供し、情報化社会を生きる上で必須のリテラシーを身に付けることを重視しているという。

 従来の「通信教育」は、働きながら学ぶ社会人が中心であった。対してZEN大学は、高校生を見込んでいる。受験する生徒たちは「デジタル」や「オンライン」への抵抗感がないZ世代だ(2025年度に入学する年代が生まれた2007年は、初代iPhone が発売された年である)。加えて、N・S高校の生徒数は増え続け、8月末時点で3万人を超えている。今後開設されるR高校に加え、不登校や経済的理由で進学が困難だった生徒など、新規層の獲得も想定される。

 このように、学修者の価値観、IT技術を駆使した独自の学習システム、運営体制、コンセプトと多くの点において、従来の通信教育課程とは一線を画している。一方で、卒業生の進路や、卒業率の低さといった今後の課題もある。

 通信制高校に通う生徒数は、近年増加の傾向にあり、2023年度には26万人を超え、12人に1人の割合となっている。高校生を対象としたユニークなオンライン大学にどれだけの志望者が集まるだろうか。また、周囲にどのような影響をおよぼすだろうか。今後も注目したい。

(佐藤 琢磨)

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2024年11月13日

未知との遭遇

 「大人が学ばない国」の第一位は・・・「日本」である。パーソル総合研究所の調査によると、学習・自己啓発活動を「とくに何も行っていない」とする就業者が52.6%で、18ヵ国・地域の中で最も高い。(グローバル就業実態・成長意識調査−はたらくWell-beingの国際比較)。人生が教育・仕事・引退の3つのステージだとすれば、社会人として過ごす40年ほどの時間は最も長い。未知との遭遇がきっかけとなり、人は何かしらを学び、人生はより豊かになっていく。その中心となる時期に「何も行っていない」のは、もったいないように思う。

 振り返ってみると、親からは「今、頑張って勉強しないと後で苦労する」とよく言われた。深く考えたことはないが「後」とはいつだろうか。それは、すでに「今」なのだろう。

 そんなことを思い「これから先」と「今」をどう生きようか妄想してみた。あれこれ考えたが、まずは「“やりたいこと”と“やってみたいこと”をやってみる」ことにした。特に「いつかは・・」「退職したら・・」などと、漠然と先延ばししていることから手を付けたい。問題は、時間管理だ。シンプルに2つのルールを決めた。「仕事と同時進行で取り組む」ことと「あきらめる」ことである。

 一つ目は、「同時進行」だ。やってみたい事や、やりたいことについて、少しでもいいから毎日手を付ける。読みたい本があれば、10分でも本を開き、行ってみたい場所があれば週末や連休に訪れる。「この仕事が落ち着いてから」などと「先送り」はしない。小さい単位に分け、仕事や家事・育児と同時並行で行う。慣れるまで時間はかかるが「充てる時間をあらかじめ決めておく」のがポイントだ。

 二つ目は、「割り切る」ことだ。「やりたいこと」に時間を割く分、代わりに「できなくなること」が生じる。何を引き換えにするのかを決めておくことが大事だ。例えば、仕事では、「100%」にこだわらない。そのために、あらかじめ達成ラインと充てる時間を設定しておく。時間に余裕があれば踏み込み、いっぱいなら手を引く。ついつい完璧に仕上げたくなるが、深追いせずに手を止めることがポイントだ。

 これまで漠然と時間を「縦」方向にとらえていた。一つのことにどっぷりとあるだけの時間を費やし、終えた後に、次のチャレンジに進むといった「単線的なイメージ」である。教育・仕事・引退という人生も「直線的」だと言えるだろう。これを機に「横」に並べて少しずつ同時に進める方法を試してみたい。新たに、時間の使い方や、それに伴う自己コントロールのスキルを学ぶ必要もあるだろう。

 人生100年時代と言われているが、厚労省によると健康寿命は69歳から74歳だという。毎日を「楽しむ」ことのできるマインドやスキルを身に付けること。そんな日々が積み重なることによって、人生は一層面白くなっていくような気がする。

(佐藤 琢磨)

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人口減少の時代の分岐点

 先日、某社営業の案内で入学前教育やリメディアル教育のためのeラーニング教材を体験した。長らく小中学生向けの“一人ひとりに適した学習”を可能とするeラーニングドリルを提供している会社で“5教科の「基礎・基本」を効率よく学び直せる”が売りとのことだが、間違えた設問には、丁寧な解説もあり、基礎的な知識を学ぶにはよくできた教材だと感じた。

 某小説で、未来の学校は、教室には通うが、生徒は個々の机の端末でeラーニング教材に取り組み、教員は、座学授業などは行わず演習授業などで生徒の理解度を確認し指導する授業に専念するという。教育を希望する生徒の数に比して、教鞭をとれる教員が少ないから、という小説の設定からだが、現在の教員の“なり手不足”による教員不足、従来に比べ多様な生徒・学生を教えなくてはならない教育現場を考えると、ある程度までの教育の大部分は、eラーニング教材による一人ひとりに適した学習として「基礎・基本」を効率よく学ぶように置き換え、教員は教員にしか指導できない演習、実験、実技などの授業や探求学習などに特化するというような近未来もあるのかもしれない。

 一方、10月22日の読売新聞の朝刊に、再考デジタル教育『教科書「紙」に回帰』との大見出しで、IT先進国のスウェーデンの報告が掲載された。2006年には、学習用端末の「1人1台」配備が始まり、教科書を含めデジタル教材への移行が進んだが、昨年、学習への悪影響があるとして、紙の教科書や手書きを重視する「脱デジタル」に大きく舵を切った。端末使用前提の授業だと、子どもたちの集中力が続かない、考えが深まらない、長文の読み書きができない等の弊害が大きかった。今は端末を「効果的な場面」でだけ、月に計1時間程度使うのみに変わり、「紙の教科書や鉛筆を使う時間を増やしてから、集中力や考える力が伸びた」という。科学的な検証に基づく大きな政策転換で、先進国に周回遅れで学習用端末の「1人1台」配備を進めている日本にも、「このまま進めていいの?」と決して無視できない内容である。

 日本は、人口減少のスパイラルに入り、右肩上がりの成長や現状維持も霧散し、ダウンサイジングや省力化などを行った上で、どうSDGsでいう「持続可能な世界」に落ち着けるか、大きな分岐点に直面している。確かにICTやネットリテラシー、AI等の基礎知識の修得はさらに必須になってくるが、一方それらに使われず使いこなすため、また人としての成長に必要な人間力を支える「集中力や考える力」を育成することに、大きく舵を切る時が来ているのではないか。英語よりも日本語ができる、ICT活用よりも失われつつある「集中力や考える力」を身に付けるほうが重要だと思います。

(金成 泰宏)

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2024年10月09日

足下にある危機

 9月13日、私学共済事業団より「令和6年度私立大学・短期大学等入試志願動向」が公表された。すでに報道されているように、過去最高の約6割の大学が定員を下回っていることが分かった。その数は、354校にのぼり、全体の「59.2%」を占める。前年は53.5%となり、はじめて「5割」を超えたが、1年ですでに約6割へ到達した。今年は5.9%の増、前年は6.0%の増である。2022年度以前の17年間は「31.0%から47.3%」の間で推移してきたところ、昨年はじめて50%台になり、今年はすでに、60%手前である。急速な変化が見て取れる。

 内容を詳しく見たい。354校のうち「充足率50%未満」の大学は43校で全体の12.1%(約1割強)を占めており、前年の29校から約1.5倍に増えている。続いて「充足率が50%から80%未満の大学」は138校、39.1%となり全体の約4割を占める。あわせると、定員割れの大学のうち、「充足率80%未満」の大学が、約半分を占めるという状況だ。

 次に、地域別にみると、定員割れの大学が多い地域は上から「東北(宮城を除く)」と「四国」だ。両エリアとも、充足率は8割を切った。東北は84.0から78.1%(△5.9%)、四国で、84.4%から76.2%(△8.2%)へ減少した。なお、数字からは見えないが、地方では県庁所在地に大学が集中している。例えば、私立大学の場合、青森では3つの市に7大学、秋田と山形は2つの市に3大学、岩手では4つの「市・町」に4大学、福島は3つの市に5大学が置かれている。上述のうち、入学定員数400名以下の大学は「80.2%」を占めている(「高等教育の在り方に関する特別部会(第1回)」【参考資料3】)。アクセスが限られ、大学の規模が小さく数も少ないエリアにおける定員割れの影響は、何らかの形で、すでに出始めているのではないだろうか。

 8月8日には、文科省の中教審大学分科会に属する「高等教育の在り方に関する特別部会」により「急速な少子化が進行する中での将来社会を見据えた高等教育の在り方について」と題された中間まとめが公表されている。その中で、高等教育政策の目的の一つとして、「「知の総和」の維持・向上のために高等教育政策を実施する上で、政策目的(追求すべき価値)として、「質」「規模」「アクセス」を設定することが必要である」と述べられている。

 「中間まとめ」冒頭の「はじめに」は「今、危機は私たちの足下にある」から始まっている。その後「正に今、我々の世代で解決する姿勢が求められる。そのためには、これまでの発想を大きく転換することも求められる。」と続く。残念ながら「具体的方策」として示されている内容には、発想の転換が感じられる目新しいものは見つけられなかった。部会では、今後も引き続き、精力的な議論を重ねるという。最終答申に期待したい。

(佐藤 琢磨)

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2024年09月11日

連携のチカラ

 神奈川県にある13の大学では、2025年度入試から、学校推薦型選抜で使われる推薦書の書式を統一するという。入学センターで働いた身からすれば、画期的な出来事である。たった13大学が同じ書式にするだけの簡単な話に聞こえるかもしれない。しかし、その簡単なことが「私立大学」にとっては「高い壁」なのである。

 書式統一の目的は、高校教員の負担を減らすためだという。入試の「主人公」である受験生や大学が主対象ではない点は興味深い。書式の統一に伴い、PC等での作成も可能になる。手書きで何人もの生徒の推薦書を、限られた時期に作成する精神的、物理的負担は、相当のものだろう。

 これらは、「神奈川県大学入試広報連絡会」という会議体が主体となって行われたという。入学センター時代に、同じような会議体に参加していた。当時は、入試実施担当者向けの別の会議体もあり、業務は主に「広報」と「実施」に分けられていた。そのため、「入試広報連絡会議がきっかけで、(入試実施分野である)書式統一の話がまとまる」ことは、まずなかった。広報担当と実施担当者間で、しっかりとした「連携」が行われていたことが想像できる。加えて、「広く報せる」のみならず、広く現場の声を聴く「広聴」という機能が十分に発揮されている好事例だ。

 また、書面には、参加大学の学生が作ったというロゴマークが掲載されている。推薦書式は「全国大学推薦書標準様式」と付され、全国規模で高校教員の負担を減らすねらいを持った取り組みであることがわかる。ロゴを入れるという広報らしい取り組みと、先々まで見据えた「仕事」として計画していることも注目に値する。

 このように、すでに課題が共有され、関係者が協働することによってワークフローの改善が望まれるケースは、本学でも多々みられるが、なかなか前に進まない。各部署が孤立しがちで、上手に協力や連携が行われていないことが主な原因だと思われる。学内で連携することさえ難しいのに、大学間で連携し、課題解決する方法を実現したことには大きな価値がある。特に、私立大学間の連携はハードルが高い。というのも、国立大学は、その立ち位置から文科省の政策下においてまとまりやすい。一方、私立大学は比較的「自由」が認められ、他大と異なる独自の施策を行いやすい。このような環境にもあるため、学外との「連携」は進みにくいと言える。

 書式統一を行った各大学には、受験生が出願や併願をしやすくする狙いもあるだろう。ステークホルダー間において相互利益を得られるのであればそれに越したことはない。このような「高校」と「大学」をつなぐ幅広いフィールドで課題を発見、調整し、成果をあげるためには、両方にアクセスできる職員という立ち位置が最適といえよう。取り組み方次第で、周りを巻き込んだ発展的な仕事ができることをあらためて教えられたように思う。

(佐藤 琢磨)

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FMICSへのラブレター

 金剛生駒紀泉国定公園の北端に近い星田妙見宮まで徒歩10分。自然環境豊かな住宅街に移り10年目を迎えた今年8月下旬。毎朝笑顔で挨拶してくれる自宅向かいに住む82歳の老婦人との会話で、64年間連れ添った87歳のご主人を見送られたことを知った。茶道を極める婦人と朝の挨拶を交わした日は、いつもウキウキした一日のスタートとなるが、その日は違った。ご主人の棺に「二通の手紙」を納めたことを教えてくれた。一通は夫への「感謝状」、もう一通は夫への「初めてのラブレター」。ご夫妻は自宅前に見える四季折々の自然の山の移ろいを愛しておられた。婦人は、旦那さんからラブレターをもらったことはあるが、ご主人にラブレターを書いたのは初めてで最後のラブレターになったという。婦人の手紙には64年間を共に苦楽を共に過ごしたご夫妻ご家族との時間、いろんな思い出が綴られていたに違いない。なんてすばらしい夫婦だろうと改めて思った。

 先月20日のFMICS茶話会LOUNGE。各自の過去と未来の『歴』を語り合った。テーマ設定した土屋郁夫さんはじめ参加者5人がそれぞれのFMICSとの関係の「歴」を紹介。高橋さんから「FMICSの『歴』を整理しておきたい」と決意表明がありました。その「歴」である「FMICSあゆみ100回BOOK」。2cm4mmの分厚いB5版オレンジ色の表紙にFMICS卵があしらわれた体裁。1989年(昭和64年・平成元年)7月15日発行。そして、本紙「FMICS BIG EGG 778」。本9月号の通算発信番号である。第1回が開催されたのは昭和56年4月24日。代表の高橋真義さんが書いた会報巻頭言は今月で481本。

 私の初参加は昭和62年12月19日。午後6時から大阪富士屋ホテルで開催された第90回例会。近畿大学の義永忠孝さんの呼びかけで関西の5大学、7人が参加しFMICS OSAKA(かみがたFMICS)が発足した。うち阪南大学常務理事だった村正雄さん、光華女子学園の由良徹さんは故人となられた。一方、FMICS人として長くFMICSにかかわってこられた安田馨さんが昨年11月に安田学園理事長に就任。「柔しく剛く」を指針として、「安田」らしい品格と奥行きのある人間性を育んでいきたいと奔走されている。

 今年4月には大槻達也さんが桜美林学園理事長に就任。大槻理事長は、5月の就任式で「私達は直面する危機を乗り越え、新しい桜美林を作っていくにあたり何をすべきでしょうか。守りのガバナンスを整え、攻めのガバナンスに転じることが不可欠です。そのためには私たち教職員一人ひとりが当事者意識をもって日々職務を果たしていくことが重要です。理事長一人の力には限界があり、学園に関わる人全ての協力が不可欠です」と述べています。FMICSの心を引き継ぎこれからの高等教育を支える若い皆さんへのバトンが確実に引き継がれていることが嬉しいです。

「今日も一日、それぞれのFMICSの皆さんFAMILYに良いことがありますように」

(小出 修嗣)

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2024年08月13日

“色”の正体

 先日、たわいもないことがきっかけで「虹は、いくつの色からできていて、色はどんな順番に並んでいるか」という話題になった。少し調べてみると、「色」について、実は知らないことが多いことに驚いた。常識のようだが、あまり詳しく知られていない(と思われる)「色」の世界。興味深いと感じた話をいくつか紹介したい。

 そもそも「色」とは何か。その最も重要な条件は「光」だ。物体が光を反射し、目を通して、脳が「色」を認識しているという。そのため、光の届かない真っ暗な部屋では、色を認識できない。光には、紫から赤までの波長の異なる「色の帯」(スペクトル)が含まれており、「可視光線」と呼ばれている(人間が見ることができる光)。

 「色の帯」であるスペクトルは、波長が長い順に、赤・橙・黄・緑・青・藍・紫で構成されている。波長が長い640-780ナノメートルの光は「赤」に、短い380-430ナノメートルの波長は「青っぽい紫」に見える。例えば、リンゴに光が当たっている状態では、リンゴは特定の光(赤の波長)を跳ね返し、残りの光を吸収する。跳ね返された光の波長は、網膜にある「錐体」という視細胞によって特定され、信号が脳に送られる。信号を受けた脳が、その波長の色を認識する、といった具合だ。リンゴは波長が長めの赤色を、ブドウは短めの紫を跳ね返す。そのため、リンゴは赤、ブドウは紫に「見える」という。もともと物体に色はついていない。

 鳥類にはこの錐体が4つあり、人間には見えない「紫外線」を見ることができる。雌雄を区別したり餌を探したりすることに利用しているそうだ。また、色を感じ、見分ける力である「色覚」は、人種や個人、年齢、性別によって多様だ。1型から3型色覚に分けられているが、まれに4型の色覚を持っている人も確認されており、一説には通常の100倍もの色がみえるとも言われている。

 ところで、冒頭の答えは「7色」である。ただし、米国や英国では6色、ドイツでは5色、と言われ、4色や3色の地域もあるという。同じモノを見ていても人間の「認識」は異なる。ややこしいのは、他人の目を借りて「確認」ができないことだ。ということは、同じ物体を見て「赤」だ、という共通の言葉で理解しあうけれども、実は、もう一人は「別な色」の物体をみて「赤」だと言っているケースを否定できない。

 私たちは普段、「眼」で見える物にかなり頼っているのかもしれない。「百聞は一見に如かず」と言われるように、自分の目で確かめることの重要性は広く知られている。しかし、自身の眼で見ているものさえも「絶対」とは言い切れないようだ。「かんじんなことは、目に見えないんだよ」というあのキツネのフレーズも思い出される。他者とコミュニケーションをする際は、「想像力」を駆使し、謙虚な姿勢で臨むくらいがちょうどいいのかもしれない。

(佐藤 琢磨)

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