2025年06月04日

不協和音の処方箋

 最近、職場のメンバーの間で「もめごと」があり、トラブルを抱えているとういう話を周囲から立て続けに聞いた。メンバーの関係が悪化し、チームの機能に障害をきたしているという。業務に対する考え方の違いによる衝突が原因のようだ。

 昨今、「ハラスメント」や「コンプライアンス」「働き方改革」「インクルージョン」など様々なキーワードで象徴されるような「あらたな考え方や文化」の導入により、職場に変化が生じていることを実感している。そのような環境下で、一層留意しておきたい点は、やはり「他者との付き合い方」だ。これまで経験した人間関係の「トラブル」には、ある共通点がみられる。それは「あの人には、どうして分からないのだろう」という考えの「取り扱い方」である。

 「自分」を基準として他人を評価してしまうことは、とかくありがちだ。自分にとって「当たり前のこと」を、相手も共有していると、つい思い込んでしまう。他人が、何を考え、信じようとも、公共の福祉に反しない限り、それは他人の自由だ。この自由は、憲法において条文で明示され、保障されている。学校で、憲法を暗記させられたように、私たちは「社会」で生きていく重要なルールについて、すでに教わっているはずだ。他者とのコミュニケーションにおいて、自分が他人の行動や考えに、違和感を覚えた時は、自分の基準によって否定してしまう前に「ふうん、そんな考えもあるのか」と、中立的な距離をとるのがちょうど良いのかもしれない。世の中には、自分の知らないことも沢山あるだろうし、他人の考えや行動の背後には、やんごとなき事情が潜んでいるのかもしれない。

 また、ある程度年齢を重ねた人の考え方や行動を、外発的な力で変えるのは至難の業だ。周囲ができることは、示唆を与えることやきっかけ作りであろう。変えられるとすれば、それは自分の考え方や行動のみだ。重心を「他者」から「自分」に移し替えることによって、気持ちは楽になる。これは、アドラー心理学で言われる「課題の分離」という考え方である。「今、抱えているのは自分の課題なのか、他者の課題なのか」を確認することだ。

 私たちは時代の変化への対処が遅れ、もしくは変化のスピードが早すぎて、職場で推進される「新しい考え方」に対する準備が、不十分なままなのかもしれない。例えば、「多様性」という考え方を職場で推進しようとすれば、メンバー同士がやがて軋轢を生じることは目に見えている。対話する機会を設けたり、研修を実施したりして、その「受け入れ方」や「活用」について、組織が円滑にまわるための方法を学んでおくことが必要だ。多様性を組織に取り入れる目的は、異なる視点や発想による「イノベーションの創出」だと言われる。しかし、事前の環境整備が不足していると、むしろ求心力が低下し、メンバー間の信頼関係が損なわれ、組織の基盤が揺らぐ懸念もあることを忘れてはならない。

(佐藤 琢磨)

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2025年05月07日

英国の授業料ローン制度

 前号で、高校の授業料無償化について述べた。今回は、英国(イングランド)の授業料ローン(Tuition Fee Loans)を紹介したい。有償化に踏み切った英国の事例は、今後、日本が「誰が学費を負担するのか」という問題を検討する上で、少なからず参考になるだろう。イングランドは1998年に、各大学が£1,000(約19万円)を上限に授業料を設定できる制度を導入した。2025年度からは、上限額が£9,535(約181万円)に7年ぶりに改訂される。なお、英国では、ほとんどの大学が「国立」である。

 イングランドの制度は、有体に言えば「出世払い」だ。返済金は、卒業後、収入が£25,000(約475万円)程度となってはじめて、給与から天引きされる(英国の物価は、日本より高い)。返済額は、月収の9%とされている。ローンを管理するSLC(Student Loan Company)のウエブサイトでは、プラン1に加入し(複数のプランが準備されている)、年収が£33,000(627万)となった場合等の事例が紹介されている。まず、月収£2,750/約52万)から定められた基準額である£2,172 (約41万)を差し引く。差が£578(約11万)となり、このうちの9%にあたる£52.02(約9,900円)が月々の返済額となる。利率は、小売物価指数によって変動する。現在は4.3%だ。

 なお、「貸与プラン」にもよるが、返済開始予定日から30年経過するか、65歳に達した場合は、借入金が全額免除となる。すべての学生を対象としており、世帯の所得制限等はない。なお、上記以外に、「生活費ローン(Maintenance Loan)」も用意されている。これらの制度により、イングランドでは、「授業料を払えないため大学進学を諦める」問題に対し、機会の平等を担保しようとしている。その特徴は、返済額が、借入金ではなく、「未来の収入」に応じて決定される「所得連動型」である点だろう。もう一つは、収入が規定額に達しなければ、一定の条件下で、借入金が免除される点だ。

 英国と違い、日本には、私大が多く存在し、73.8%の学生は、私大に通っている。(令和6年度学校基本調査)。「授業料を誰が負担するか」という議論では、必ずといっていいほど、「国立と私立の扱い」が論点となる。望ましいあり方を議論することは重要だが、私大に教育を依存してきた歴史と現状を基盤において、議論に臨むことが重要だろう。なお、日本でも、大学院修士相当過程の入学者を対象として、昨秋から「授業料後払い制度」が導入されている。国公立は、535,800円、私立は776,000円を上限として貸与する。その後は、イングランドのように、年収が300万円程度になるまでは毎月2,000円返済する仕組みだ。「大学の授業料無償化」の動きは、学部課程にも広がっていくだろうか、今後の動向に注目したい。

(佐藤 琢磨)

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2025年04月09日

教育コストは、誰が負担するのか

2010年に始まった高校授業料の無償化に関する制度が、4月より一部改正となった(高等学校等就学支援金制度)。従来、公立私立問わず、世帯年収が910万円未満の家庭に11万8800円、590万円未満の家庭には、さらに私立高校支援として39万6000円を上限に支給していた。改正後は、所得制限が撤廃され、すべての家庭が公立高校の授業料無償化の対象となる。もう一点は、私立への支援額が39万6000円から45万7000円に増える(年収590万未満の家庭)。加えて、2026年度からは、従来の所得制限が撤廃され、私立の平均授業料相当の45万7000円が支給される見込みだ。

 これについて、2月中旬、日本経済新聞社と日本経済研究センターが、経済学者47人を対象にアンケート調査を行った。「私立高校向け支援額の引き上げ」については、70%が反対という結果だった。主な理由は「私立高校の支援額を引き上げると、私立高校は学費をあげるため」である。また「所得制限の撤廃」については、賛成が39%、反対が49%と賛否は割れた。賛成する理由には「正確な所得把握のしにくさ」や「教育機会の平等」が多く挙げられたという(日経エコノミクスパネル)。

 今回の改正については、注意も必要だ。高校の費用について、すべて無償となるわけではない。支給対象となるのは「授業料相当額」のみであるが、実際には、修学旅行、教材、通学費などの諸費用が必要となる。東京都の私立高校で、2025年度に授業料以外にかかる初年度費用は、48万6789円とされている(入学金含む)。もう一つ、私立高校の授業料は高校によって異なるため、進学する高校次第で支給が一部となる場合もある。例えば、東京都にある私立高校の授業料は36万円から約136.1万円と幅広い(2025年度平均額は50万648円)。

 なお、私立高校(全日制)は全体の31.1%、私立に通う生徒数は35.5%を占める。高校進学率が約99%であることを踏まえると、公教育における私立の担う役割は大きい。また、地域によって「公・私」の位置づけは大きく異なる。各都道府県における私立高校(全日制)の割合は、徳島県の10%(3校)から東京都の2.8%(218校)まで様々だ(文科省・令和6年度学校基本調査)。

 公教育の費用を負担する主体は、国であることに異論はないだろう。少なくとも、今回の改正で、国が教育の責任を引き受けることが明確にされた点は評価に値する。今後、制度を運用する上では「地方と都市」「公立と私立」にある「違い」をいかに調整するかについて、これまで以上に十分な議論が必要だ。

 今春、東京大学では、学費の値上げが行われた。一方で、子供3人以上の世帯への大学授業料等の無償化も開始された。高等教育においても「大学の費用は、誰が負担するのが望ましいか」という資源配分に関わる議論が、より活発に行われることを期待したい。

(佐藤 琢磨)

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ピグマリオン効果

 高校に出向いて進路講演や模擬授業を行う際に,最近は一方通行の授業ではなくワークショップ形式で実施することを心がけている。数年前までは,ワークショップ形式と話すと,慣れていない高校教員から怪訝な表情をされることもあったが,最近は探究学習の定着によって,机を幾つかの島(班)に分けて行うワークショップ形式を提案しても抵抗を示さなくなってきた。

 模擬授業での持ちネタは外山滋比古の「思考の整理学」である。中でも第六章の「拡散と収斂」は,高校生(特に受験生)にはとても良い題材だと思う。通常の授業や定期考査等で「収斂」に慣れた高校生に「拡散」という概念を感じてもらうことが目的である。具体的には,「拡散と収斂」を全員で一読した後,まずは個人個人で身の周りの「拡散」を考えてもらい,引き続きそれぞれが考えた「拡散」に関して,班のメンバーでディスカッションしてもらうという段取り。このことで生徒たちの中に「拡散」のリアリティが生まれてくる。その後,現代社会が抱える「答えのない問題」に向き合う際の「拡散」の重要性や,大学での学び方についても触れていくと,大学の「教育研究」にも興味を持ってくれる生徒がチラホラ出てくるという仕掛けだ。前置きが長くなったが,今回の「裏巻頭言」は,その「思考の整理学」第四章にある「ホメテヤラネバ」から引用して書いてみたい。

 この原稿を書いているのは「プラス発想は元気元気元気PART2」の開催直前のタイミングでもあるため,そのテーマにまつわるネタとして選んでみた。前回のPART1の総括では,「褒めることの難しさ」「自慢することの難しさ」「客観性の確保」の3つの観点を据えて,(一見尤もらしい)総括を行ったが,外山先生の主張は,以下の通りいたってシンプルだ。一部引用してみる。

“まったく根拠なしにほめていても,こういうウソから出たマコトがある。まして,多少とも根をもったほめことばならば,必ずピグマリオン効果をあげる。(中略)雰囲気がバカにならない。いい空気のところでないと,すぐれたアイデアを得ることは難しい。” (P.149)

“見えすいたお世辞のようなことばをきいてどうする。真実に直面せよ。そういう勇ましいことをいう人もあるが,それは超人的な勇者である。平凡な人間は,見えすいたことばでもほめられれば,力づけられる。お世辞だとわかっていても,いい気持ちになる。それが人情なのではなかろうか。” (P.150)

 ここでピグマリオン効果について触れることは割愛するが,外山先生の書かれた通り,思考はとてもデリケートである。褒めたつもりが微に入り細を穿つことが際立ちすぎて,却って逆効果になることもある。褒めることが下手な日本人だからこそ,シンプルに,考え過ぎず,自分の気持ちに素直に「褒める」ことだけで十分なのではないか。まずは率先励行。私自身も照れずに「褒める」ことを心がけたい。

(新藤 洋一)

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2025年03月05日

目指すべき姿 〜 知の総和 〜

 2月下旬、中教審は2023年9月に文科大臣より受けた諮問への答申をまとめた(我が国の「知の総和」向上の未来像〜高等教育システムの再構築〜)。諮問の内容は「2040年以降の社会を見据えた、目指す高等教育の姿や実現のための方策」であった。諮問された4項目のうち3つの項目とそれに対する答申の概要は以下のとおりだ。

 一つめの諮問は「2040年以降の社会を見据えた高等教育が目指すべき姿」である。これに対し答申では、「知の総和(数×能力)を向上し、社会実装へ繋げること」としている。そのためには、高等教育全体の「規模」の適正化を図りつつ、それによって失われるおそれのある「アクセス」の確保策を講じるとともに「規模」の縮小をカバーし、教育研究の「質」を高めることが必要だとしている。

 二番目は「高等教育全体の適正な規模を視野に入れた、地域における質の高い高等教育へのアクセス確保の在り方」である。「質」については、新たな認証評価制度が提示された。従来の評価基準である「適合・不適合」ではなく「在学中にどれくらい力を伸ばすことができたのか」という教育の質を数段階で示す。加えて「新たな評価におけるデータベース」と連携したデータプラットフォームである「Univ-map(仮称)」を新たに構築する。これにより各大学の比較が可能となるという。

 「規模」の適正化については、より「厳格な設置認可への転換」をはじめ、設置者の枠を超えた、連携、再編・統合、縮小、撤退に関する具体的な支援策を示している。最後に「アクセス」については、大学、地方公共団体、産業界等が、各地域で実効性のある取組を推進する協議体として「地域構想推進プラットフォーム(仮称)」の構築が提示された。さらに、地域にとって真に必要な一定の質が担保された高等教育機関への支援として、大学間の連携をより緊密に行う「地域教育研究連携推進機構(仮称)」の導入も提示されている。

 三番目は「設置者別の役割分担の在り方について」だ。答申では、国立大には地域の高等教育の牽引役としての機能強化や「連携、再編・統合」の推進に向けた検討の必要性が示された。その一方で、私大については「縮小、撤退の支援」が追記され、国立大との「差」が明示されている(答申要旨C)。

 全体を通してみると、新しい提案はあったものの、対策については具体的なイメージがわかなかった。特に、長い間、問題となっている「質」の向上については、答申された内容を見た限りでは、十分な議論がなされたのか疑問が残る。「おわりに」では、18 歳人口が急激に減少する2035 年頃まで「たった10年しかない」と記載されている。しかし、すでに大学が「渦中」にあることは、昨今の短大の募集停止に触れるまでもなく明らかだ。今後、文科省が10 年程度の工程を示した政策パッケージを策定するという。どのような内容になろうと、優先されるのは「スピード感」だろう。

(佐藤 琢磨)

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2025年02月05日

第三の領域

 先日、ある大学の「ダイバーシティ・センター」なる場所を訪問した。センターは、性別や性自認に関わる「多様性」へ配慮した教育研究の環境整備を目的として設置された。このセンターで業務の中心的役割を担っているのは「コーディネーター」だという。高度な専門性が求められるため、外部から人材を有期で登用しているそうだ。

 近年、大学では「SDGs」や「カーボンニュートラル」「ダイバーシティ」に関わる社会からの要請に応えるために、上述のような組織を新設する動きがみられる。教員や職員を配属する場合もあるが、とりわけ専門度の高い分野では、「専門人材」を外部から採用するケースが一般的のようだ。

 大学業務の多様化や高度化に伴い、教員と職員が管轄する二つの領域にまたがる、もしくは個別に専門性が求められる「第三の領域」は、一層拡大しているのではないだろうか。2015年に、文科省が行った調査(大学における専門的職員の活用実態把握に関する調査)から10年が経過している。この間、多様化や高度化が進展し、URA、産学連携コーディネーター、IRerやFDer、教育支援コーディネーター、地域連携コーディネーター以外にも、その領域は以前より多岐に渡っていると推察される。

 現在、私の配下には、特許など知財管理を行う専門嘱託と、産学連携コーディネーターが置かれている。外部から登用している専門職のマネジメントは初めての経験だ。これまでの部局におけるプレーヤーとしての知識や経験を活用できないこともあり、新たな知識やマネジメントスキルの必要性を日々痛感している。専門性が高い領域のため、自分がプレイングマネージャーとして関わるにも限度がある。思うように組織としての成果を残せず、悪戦苦闘する毎日だ。

 専門人材の登用が増加すれば、既存の教職員や組織との連携、専門人材のマネジメントなどをはじめとした、新たな課題が顕在化していくかもしれない。そうなれば、関連する職員には、これまでとは異なる業務やスキルが求められることになるだろう。

 「誰が、どんな仕事を行うか」という問題は、多様な業務で構成される大学組織には、常に付きまとう問題だ。「第三の領域」に求められるような新たな人材や、「AI」や「IT」などの新しい技術を、問題の解決に活用できる「選択肢」ととらえ、前向きに取り組みたい。

 一方、大学の雇用や人事制度の考え方は、変わらず旧来のままだ。新たな選択肢が増えていることを踏まえれば、組織作りの設計図を描き直すことは、一層重要になってくるだろう。今ある人材の配置方法や組織の連携に関する仕組みの在り方を工夫することによって組織を活性化することができるかもしれない。私たちが、大学にある「古いシステム」から脱却することができるかどうかが焦点となりそうだ。

(佐藤 琢磨)

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2025年01月08日

2025年 〜超・超高齢社会の到来〜

 2025年は、約800万人といわれる「団塊の世代」が75歳以上となる「超・超高齢社会」を迎える。全体の20%、5人に1人が75歳以上という社会だ(一般に、65歳以上の割合が21%を超えた社会は「超高齢社会」と呼ばれ、日本はすでにその段階に入っている)。この変化によって、雇用、医療をはじめとした広い領域にわたって深刻な影響を及ぼす諸問題を「2025年問題」と呼んでいる。具体的には、労働人口の減少により生じる「社会保障費の問題」。従来の医療・介護等の体制維持が困難になる「医療・介護体制の問題」。また「国内市場の縮小」や企業における「労働力不足の深刻化」などがあげられてきた。ご存じのように、政府はすでに、各方面において様々な手を打っている。一例として、2025年4月からは、高齢者雇用安定法改正により、希望者全員の65歳までの雇用確保が、完全に義務化されることが決まっている(70歳までの雇用については努力
義務)。

 企業に関しては、激化する採用競争を勝ち抜くため「労働環境の改善」や「DX推進による業務の効率化や生産性の向上」「アウトソーシングによる人手不足の解消」などがあげられてきた。しかし、DX推進については、1,001名以上の大企業の96.6%が「取り組んでいる」一方、従業員100名以下の小規模企業では44.7%にとどまり、企業規模により進捗が異なるといったデータも示されている(独立行政法人 情報処理推進機構、DX動向2024)。

 勤務先の大学では、現在まで、基幹システムや全体業務に、有力な「DX」はみられない。AI活用を推進する組織的な取り組みも同様だ。例えば、最近では、多くの議事録作成ツールが発売され、オンライン会議ツールにも要約機能や文字起こし機能が搭載されている。しかし、これらの活用が、業務効率化対策として教職員全体を巻き込むような組織的な取り組みには至っていない。残念ながら、このあたりは「静かなる有事」にすでに飲み込まれ始めているような状況だ。

 総務省が、昨年の敬老の日に発表した報道資料によると、65歳以上の人口は「29.3%」で日本が「世界第一位」だという。また、世界人口が、現在の約82億から約97億に達する2050年には、日本の人口は約9,515万人まで減少するとも言われている(65歳以上の人口は39.6%)。これは、25年先の現実的な世界の話だ。恐ろしいことに、これらは、日常生活において、目に見える変化を伴わず進行するため、実感しにくい。2025年問題の後には、65歳以上の高齢者が人口の30%を超える「2030年問題」、さらにその後には、より深刻と言われる「2040年問題」が続く。私たちは、これまでどの「社会」も経験していない「未曽有の世界」にすでに突入し始めている。そして、これからその世界をなんとかして生き抜いていかなければならない。

(佐藤 琢磨)

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Ownership

 若い方には興味のない話かもしれないが,還暦を迎えて気づいたことがある。日本の平均寿命が長いのは医療制度が充実しているから。特に薬で生かされている現実がある。厚労省が公表している「高齢者の服薬に関する実態調査」によれば,1カ月に病院から処方された「常用薬」を服用している割合は約80%となっている。健康寿命は75歳あたりまでというが,これも常用薬あってのことかもしれない。かたや高齢者の犯罪率は上昇傾向にあって再犯率も高い(H29年度法務省犯罪白書)という。高齢者の比率が人口の約3割まで上昇している以上,仕方のないところでもあるが,再犯率の高さは何を意味するのだろうか。認知症や老化による影響もあるだろう。個人的には「当事者意識(ownership)の欠如」が要因のひとつなのではないかと考えている。「当事者意識」といえば, 780回例会で興津先生が問題提起された「人口減少」でも話題にあがり,つい先日の2024シンポジウムでも筆者が報告した「学びのかけ橋」で「当事者意識」の重要性を説いた。

 日本は「成熟した安全安心な社会(内閣府2018)」と言われるが,どれだけ国民一人ひとりが主体となって「安全安心に取り組んでいるか」は疑わしいところだ。日本財団がアジア・欧米の6か国の若者(各国千人)に実施している第62回18歳意識調査「国や社会に対する意識」によれば,質問7「自国の将来についてどう思うか」について「良くなる」は突出して低く15.3%。それ以上に「どうなるか分からない」と回答したのは31.5%と6か国の中で一番高いスコアとなっている。さらには,質問2「若者への支援は充実している」の回答は38.6%と,他国に比べ突出して低いだけでなく,「高齢者への支援は充実している」64.5%と,両者の乖離が他国よりも圧倒的に大きなことが特徴となっている。さらに,質問11「自身と社会の関わりについて」では,「自分は大人だと思う」49.6%「自分の行動で国や社会を変えられる」45.8%と他国に比べ著しく低い数値となっている。

 この調査は2019年から3回実施しているがいずれも同様の結果となっており,ここに日本社会が抱える課題の本質があるように思う。言い換えれば,この調査結果は若者に限定した事ではなく,大人の映し鏡になっているのではないか。という点だ。自身の周辺を眺めてみる。カスハラの一因ともいえる「サービス過剰」な社会。手取り足取りで教えるが「考えさせない」教育。枚挙に暇はない。こうした社会構造が「自立・自律」しない「日本人」を大量に社会に送り出しているのではないか。そして一様に(お薬とともに)高齢化して(ある意味において)磨きがかかる。

 どう解決していくべきか。その示唆を先日の2024シンポジウムで見つけたように感じた。別府大学の城さんがプレゼンテーションしてくれた「学びのかけ橋ってどんな橋?」である。ここにたくさんのヒントを確認できると思う。そして,城さんのようなたくましい若者をどう増やしていくか?が喫緊の課題であろう。と,他人事でなく自分事として捉えねばなるまい。

(新藤 洋一)

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2024年12月11日

N・S・R → Z

 11月中頃「ZEN大学」の来春開学が認定された。茶の間では、明石家さんまさんが起用されたコマーシャルを見かける。2016年にN高校を開校し、S高校(2021年開校)、R高校(2025年開校予定)の運営に関わる(株)ドワンゴが、公益財団法人日本財団とタッグを組み、学校法人を設立して運営する。定員は3,500名だ。少子化の厳しい環境下において、異例の規模での開校となる。

 ZEN大学は「収入」「居住地域」「性別」などの格差を解消し、全ての人に必要な高等教育を届けること、そして、「ネットとリアルを融合した日本発のオンライン大学」をうたっている。学部は「知能情報社会学部」1学部のみだ。カリキュラムは、「数理」「情報」「文化・思想」「社会・ネットワーク」「経済・マーケット」「デジタル産業」の6分野・279科目で構成されている。

 特にデジタル産業分野では「ゲーム制作論基礎」「マンガ産業史」といった科目が並び、アニメ、ゲーム、マンガ、IT、ネットを学べる点は特徴的だ。授業は、すべてオンデマンド型で行われる。1回の授業で10分程度の動画を6本視聴し、授業後に確認テストが実施される。動画数は、12万本以上だという。また、フィールドスタディにも注力している。地方や企業でのインターン、留学プログラムも整備され、特に、地域・企業連携プログラム数は、100を超える。学費は、国立大学の標準年額「53万5,800円」より低い38万円に設定されている。4年間の学費は、私大理系の1年分と同等だ。このような教育環境下において、最先端のAI・ICTツールを活用した実践的な学習を提供し、情報化社会を生きる上で必須のリテラシーを身に付けることを重視しているという。

 従来の「通信教育」は、働きながら学ぶ社会人が中心であった。対してZEN大学は、高校生を見込んでいる。受験する生徒たちは「デジタル」や「オンライン」への抵抗感がないZ世代だ(2025年度に入学する年代が生まれた2007年は、初代iPhone が発売された年である)。加えて、N・S高校の生徒数は増え続け、8月末時点で3万人を超えている。今後開設されるR高校に加え、不登校や経済的理由で進学が困難だった生徒など、新規層の獲得も想定される。

 このように、学修者の価値観、IT技術を駆使した独自の学習システム、運営体制、コンセプトと多くの点において、従来の通信教育課程とは一線を画している。一方で、卒業生の進路や、卒業率の低さといった今後の課題もある。

 通信制高校に通う生徒数は、近年増加の傾向にあり、2023年度には26万人を超え、12人に1人の割合となっている。高校生を対象としたユニークなオンライン大学にどれだけの志望者が集まるだろうか。また、周囲にどのような影響をおよぼすだろうか。今後も注目したい。

(佐藤 琢磨)

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2024年11月13日

未知との遭遇

 「大人が学ばない国」の第一位は・・・「日本」である。パーソル総合研究所の調査によると、学習・自己啓発活動を「とくに何も行っていない」とする就業者が52.6%で、18ヵ国・地域の中で最も高い。(グローバル就業実態・成長意識調査−はたらくWell-beingの国際比較)。人生が教育・仕事・引退の3つのステージだとすれば、社会人として過ごす40年ほどの時間は最も長い。未知との遭遇がきっかけとなり、人は何かしらを学び、人生はより豊かになっていく。その中心となる時期に「何も行っていない」のは、もったいないように思う。

 振り返ってみると、親からは「今、頑張って勉強しないと後で苦労する」とよく言われた。深く考えたことはないが「後」とはいつだろうか。それは、すでに「今」なのだろう。

 そんなことを思い「これから先」と「今」をどう生きようか妄想してみた。あれこれ考えたが、まずは「“やりたいこと”と“やってみたいこと”をやってみる」ことにした。特に「いつかは・・」「退職したら・・」などと、漠然と先延ばししていることから手を付けたい。問題は、時間管理だ。シンプルに2つのルールを決めた。「仕事と同時進行で取り組む」ことと「あきらめる」ことである。

 一つ目は、「同時進行」だ。やってみたい事や、やりたいことについて、少しでもいいから毎日手を付ける。読みたい本があれば、10分でも本を開き、行ってみたい場所があれば週末や連休に訪れる。「この仕事が落ち着いてから」などと「先送り」はしない。小さい単位に分け、仕事や家事・育児と同時並行で行う。慣れるまで時間はかかるが「充てる時間をあらかじめ決めておく」のがポイントだ。

 二つ目は、「割り切る」ことだ。「やりたいこと」に時間を割く分、代わりに「できなくなること」が生じる。何を引き換えにするのかを決めておくことが大事だ。例えば、仕事では、「100%」にこだわらない。そのために、あらかじめ達成ラインと充てる時間を設定しておく。時間に余裕があれば踏み込み、いっぱいなら手を引く。ついつい完璧に仕上げたくなるが、深追いせずに手を止めることがポイントだ。

 これまで漠然と時間を「縦」方向にとらえていた。一つのことにどっぷりとあるだけの時間を費やし、終えた後に、次のチャレンジに進むといった「単線的なイメージ」である。教育・仕事・引退という人生も「直線的」だと言えるだろう。これを機に「横」に並べて少しずつ同時に進める方法を試してみたい。新たに、時間の使い方や、それに伴う自己コントロールのスキルを学ぶ必要もあるだろう。

 人生100年時代と言われているが、厚労省によると健康寿命は69歳から74歳だという。毎日を「楽しむ」ことのできるマインドやスキルを身に付けること。そんな日々が積み重なることによって、人生は一層面白くなっていくような気がする。

(佐藤 琢磨)

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