2026年02月04日

アナログとデジタルの共創

 文部科学省は、次期学習指導要領の改定となる2030年までにデジタル教科書を活用している学校の割合を100%とすることを目指している。必要な制度改正等を経て、2030年度には小学生、翌年に中学生、2032年度に高校で導入する計画だ。ただし、「従来の紙の教科書を廃止し、デジタル教科書に移行する」取り組みではない点に注意したい。昨年の9月には「紙」だけではなく「デジタル」や「ハイブリッド」も正式な教科書として認める方針が示された。ちなみに、現在「デジタル教科書」と呼ばれているものは、正式な教科書ではなく、「教科書代替教材」と位置付けられている。

 導入の目的は「生徒の学びの充実や障害等による学習上の困難の低減」とされている。「デジタル」の良さを、生徒の資質・能力の育成に取り入れることによって、教科書での学びの可能性を大きく広げることを目指す。つまり、教育効果を高めるためにあらたな選択肢を追加する、という取り組みだ。

 デジタル教科書の提供は、少しずつ進められている。現状ではすべての小中学校と高校の約59%にすでに提供済みだという。科目別では、英語が約100%、算数・数学は約55%だ。活用については、調査において、6割以上の教師が「1/4回〜毎回授業で使用している」と回答している(文科省資料:デジタル教科書をめぐる状況について)。

 一方、海外に目を向けると、デジタル化を見直す動きも見られる。健康面への影響や、学力低下が主たる懸念材料だと言われている。例えば、デジタル教育を進めてきたスウェーデンでは、2022年の政権交代に伴い、アナログの教材費を支援する予算措置がとられた。これに対し、文科省は「デジタル教育推進後のスウェーデンの国際学力調査の成績は向上し、直近の2022年の成績のみ低下している」とし、また「教科書検定による質保証の仕組みがない中でデジタル化が進められており、わが国とは状況が異なる」という見解も示している。文科省は、紙かデジタルかという「二項対立ではなく、どちらの良さも考慮し、教育課程・授業全体として紙・デジタル・リアルを適切に組み合わせてデザインすることが重要」だとしている。

 紙ではない形態の教科書が導入されるのは、これまでで初めての試みだ。教える側の指導力向上や教員研修のコストをはじめ、新たな対応も求められる。しかし、新しい物事を検討する場合、生じうる影響すべてに対して、見通しを立てるには限度があるし、リスクはつきものだ。可能な限りのリスク評価を行い、対価の総量と比較した上で、総合的な判断を行うことが重要となるだろう。様々な試行錯誤を経て導入される新しい時代の「教科書」は、どんなものとなるのだろうか。

(佐藤 琢磨)

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2026年01月14日

55歳からの冒険

 先日、墓参りの帰りに、千葉県香取市にある佐原に立ち寄った。北総の小江戸と言われる町並みを散策する途中で「伊能忠敬記念館」を訪れた。ご存知のように、伊能忠敬は、日本全国を統一の基準で測量を行い、初の日本全図作製に貢献した人物である。

 忠敬は17歳で、名主の農家に婿入りし、酒造業や水運業で成功して財を成した。49歳で隠居した後、かねてより興味のあった天文・暦学を学ぶため50歳で江戸に出て、幕府の天文方(天体観測および暦を担当する役職)を務めた高橋至時に師事した。至時は、より正確な暦を作ろうとしていたが、そのためには地球の大きさや各地の緯度と経度を知る必要があった。緯度1度の正確な距離がわかれば地球の大きさを計算できるが、当時の緯度1度は不確かだったという。そこで、忠敬は、深川の自宅と浅草までの距離を歩いて測り、緯度1度の長さを計算して至時に報告したが「その距離では短すぎて、正確な数値が得られない。江戸と蝦夷地(北海道)くらいの距離を測る必要がある」と言われた。これが江戸と蝦夷地の距離測定への契機になったという。

 1800年、第一次測量に旅立った時は55歳であった。現在の北海道別海町まで約4カ月をかけて測量した。1日の移動距離は約40kmという強行軍だったという。その後、第十次測量まで、実に17年間にわたって全国各地の測量を行った。その道のりは約4万km(地球1周分)にも及んだ。忠敬が定めた緯度1度の距離「28.2里」は、現
在の地図との誤差が約0.2%という驚異的な数値であった。記念館では、現在の地図と忠敬の測った「伊能図」を重ねて展示している。実際に見ると、想像以上にその差が小さいことに驚く。

 日本全図の作製という偉業もさることながら、退職後、50歳から新たな学びを始めたことには感服する。現在より平均寿命が短い時代の「50歳」であることを踏まえればなおさらだ。一説によると忠敬は「人間は、夢を持ち、前へ歩き続ける限り、余生はいらない」という言葉を残したという。考えてみれば、本来、人生には「余り」などなく「余生」も確かな人生そのものである。

 忠敬は、最後の第十次測量を終えた2年後、73歳で他界した。そのため、測量した資料をもとに作製された地図をその目でみることは叶わなかった。しかし、その遺志を引き継いだ者たちが大日本沿海輿地全図(伊能図)を完成させたという。たとえ自分が生きている間に成しえなかったとしても、次の世代に繋ぎ、託し、世界を前に進めることができる。記念館で忠敬の功績に触れると、「徒歩で測量を行うという気の遠くなるような仕事の積み重ねによって、世界は少しずつ創りあげられてきた」ことを実感できる。なにをするにも年齢を言い訳にし、二の足を踏んでいては、忠敬に発破をかけられてしまいそうだ。余生を穏やかに過ごすこともよいが、「冒険」は、それ以上に魅力的かもしれない。

(佐藤 琢磨)

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2025年12月10日

文部科学省 VS 財務省

 11月18日、文科省は財政制度等審議会が公表した高等教育への提言に対する見解を発表した。両省の見解は異なり、その内容は「大学全体の規模と教育の質の評価」「運営交付金」「私学助成の配分」など多岐にわたっている。

 その中でも「教育の質保証」に注目したい。財務省は、私大では「認証評価制度は、学修成果・教育内容の実質的な評価が行われていない」と明言し、「絶対的」な質保証の必要性を訴えている(上述の財政制度等審議会、財制度分科会資料より)。

 具体的には、入口段階において「高等教育にふさわしい水準で入学させているか」という懸念を示し、米、英、仏、独、中、韓が「共通試験」を主な合格者決定方法としている例をあげ、大学入学共通テストの標準化と得点の要件化を提起している。

 さらに、入学後「高等教育にふさわしい水準で単位認定を行っているか」という本質的な懸念も示している。英国では、公的助成金を得るために「教育の質が高等教育としてふさわしい水準であること」が要件とされ、学生の提出物も参照する例をあげて、「認証評価機関が、シラバスや学生の提出物を確認することで講義や課題のレベルを直接的に評価し、最低限の質保証を行うべきだ」という提言を行っている。単位認定の水準を厳格に担保することについては、「いまさら感」も否めないが、正論だ。

 文科省は、このような指摘に対し、以下のような基本的な考え方を示して、反論している。「大学教育が特定の目的に閉じておらず、国民に広く開かれている我が国においては、個々の大学の目的を捨象し一律に扱うような議論を行うのではなく、高等教育機関が、世界的な研究・教育の推進や、地域社会を支える職業人養成などといった、多様な社会のニーズに大学システム全体として対応し、役割を果たしていることに留意して議論を進めていくべき」だとして、「一律的・絶対的」というスタンスを示す財務省に対して、多様なニーズに対応している日本の高等教育の現状への理解を求めている。

 そのため、入試方法や単位認定についても「国が一律の基準を設定したり、多様性を無視した「横並び」の評価を行うのではなく、各大学の教育及び学修成果の目標が高等教育機関として相応しい水準になっているかを確認した上で、学生がどれくらい成長したか、という観点から「教育の質」を評価する必要」があると反論している。

 高等教育があるべき姿と、我が国の現状との間には、大きな隔たりもみられる。一方、大学がこれまで以上に多様化し、いまや、一括りにはできなくなっている実態は、多くの関係者が認識しているところだろう。両省は少なくとも「教育の質保証の必要性」という点では一致している。とにもかくにも、高等教育がすでに危機的な状況に陥っている現状であることは、強く意識しておきたい。

(佐藤 琢磨)

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2025年11月12日

多様化する大学入試

 去る8月、私学事業団より「2025年度私立大学・短期大学等入学志願動向」が公表された。「概況」にある「今年度の特徴」によると志願者、受験者、入学者が増加し、入学定員充足率は101.6%に上昇した(前年度比3.4%増)。また「定員充足率が100%未満の大学は38校減少し316校となり、大学全体に占める未充足校の割合は53.2%へ下降した(前年度比6%減)」と報告されている。規模・地域・学部系統別では、すべての区分で定員充足率の上昇がみられた。

 数値だけをみると状況が好転したようにも見えるが、私立大学の半分以上の大学が定員割れを起こしている状況は続いている。さらに定員数を詳しく見ると、中規模と大規模大学は増加しているが、小規模大学(収容定員4,000人未満)では減少している(前年度比97.2%)。さらに小規模大学では、志願者と合格者も減少しており、入学者のみが増加している(前年度比101.7%)。結果、充足率も上昇し92.9%となっている。小規模大学では依然として厳しい状況が続いていることが読み取れる。全体として定員数が減少したのは、2003年以降22年ぶりだ。今後、文科省の大学の規模適正化政策が進むにつれ、定員減少に起因する定員充足率の上昇傾向が続くことも予想される。

 また「推薦等入学者」の割合は53.6%と1.3%増加した。入学者数は増加し、そのうちの93.4%は推薦等入試によるものである。推薦等入学者数は、令和2年度に50%を超えて以降、少しずつ増えている。昨年、話題になった東洋大学の件が発端となり、令和8年度入試では年内入試の学力試験実施が条件付きで認められることとなった。同方式を新規導入する大学も見られる。早く合格を決めたい受験生と早く入学者を確保したい大学側の思惑が一致することもあり、年内入試の入学者の増加傾向は今後も続きそうだ。

 ところで「推薦入試等による入学者が50%超」という状況は、どの大学にも当てはまるわけではない。2024年度入試では、一般入試による入学者割合は私大で約4割、国立大で約8割となっている(文科省、令和6年度国公私立大学入学者選抜実施状況)。私大のうち、早稲田、MARCH、関関同立では5.5割から6割ほどを占めている。東大は95.4%、京大は93.4%だ(旺文社、大学の真の実力)。国立大学や私大の一部では、一般入試による選抜が主流を占めていると言える。

 各私大は、生き残りをかけて入学者の獲得にしのぎを削っており、入試方式の多様化・複雑化はそのことを物語っている。加えて、入学試験は多くの大学が相互に関係し、高等教育や高等学校にも大きな影響を及ぼす。入試の設計・実施においては、私立大学の果たしている役割や立ち位置を十分に理解しつつ、人材育成という公共的観点を念頭において取り組む姿勢がこれまで以上に求められるのではないだろうか。

(佐藤 琢磨)

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2025年10月01日

高等教育における喫緊の課題

 8月下旬、文科省より「令和8年度概算要求」が公表された。高等教育の「喫緊の課題」を理解するために「新規」要求に注目して概観したい。まずは「“知の総和”答申を踏まえた地域大学振興の推進」(25億円)だ。内訳は「(1)地域構想推進プラットフォーム構築等推進事業」に15億円、「(2)都市と地方の連携を通じた国内留学等の促進」に10億円だ。(1)の骨子は「地域構想推進プラットフォーム」の構築とされている。これは、産学官金等の関係者が地域の人材需給等を踏まえた議論を行うための協議体である。また、その推進役となるコーディネータの配置や、文科省を含めた関係者間の対話機会の設置を行う。ポイントは、その後に各地域の施策展開に資する「モデル」の構築に注力するという点だろう。

 (2)は「国内留学等の取組を支援し、地域の大学や自治体等との連携により、都市と地方の循環を促進し、地方の人口増加を図る」というものだ。具体的には「都市部と地域がリソースやフィールドを提供しあい、持続的な人材交流や循環に向けた緊密な体制づくりや教育プログラムの構築」などが挙げられている。つまり、人口増加につながる都市部と地方の交流推進を加速する事業だ。利害関係者で構成されるコミュニティに全体最適化をもたらす「コーディネーション」が鍵となりそうだ。

 大項目に記載はないが、小項目として新規要求されている案件もある。

 例えば「(3)大規模文理横断転換枠の新設」だ。これは、2023年から公募が開始された学部学科の成長分野(デジタル・グリーン等)への転換を促進する事業への追加である。背景には「3回の公募を経てもなお、ボリュームゾーンである大都市圏の大規模大学で理系転換が進まない状況」がある。現状で対応しきれない課題を補う格好だ。具体的には、産業界や他機関との連携、大学院の設置・拡充などを行った場合、上限額や助成率を引き上げるなどの施策が用意されている。

 この他に将来の生成AIやロボットの利活用の推進に向け、文系学生にも理系的素養を身に付ける教育の質的転換の加速を目的とした事業に5億円を要求している。

 上記から、喫緊の課題への対策は「地域大学の振興」「成長分野への学部転換」「AI・ロボット活用人材の育成」「文理横断領域へのシフト」というキーワードでまとめられそうだ。大学経営は予想を超える少子化進行により待ったなしである。概算要求からは、現在進行中の危機と、近未来の危機に対し、せっぱつまった状況に直面していることが読み取れる。当然、その対策はこれまでと比べ、チャレンジングな政策となる。しかし、小規模組織の集合体とも言える大学は、意思決定を行うには時間がかかり、合意を得るための調整コストも大きい。規模が大きいほどその傾向が強いだろう。文科省が振る旗の速さについていけるだろうか。「笛吹けど、踊りたくとも、踊れず」という結末は回避したい。

(佐藤 琢磨)

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2025年09月03日

社会の公器

 先日、関西のとある大学で、研究支援を担当する部署の集まりがあり、関西と関東から十数大学が参加した。各大学の支援の在り方、課題の解決や政策への対応等をテーマに、年に一度、情報交換会を行っている。この会に併せて、研究費に関わる業務のシステム化を実現している大学を訪問した。業務効率化に向けた情報収集が目的である。

 現在、本学では、研究費の申請から執行までを書類ベースで行っている。新しい仕事が増える中、業務の効率化や生産性の向上は、従来にも増して大きな課題となっている。コロナ禍により、一定の業務整理やスリム化は達成できたが「ハンコ」によって承認を行う紙ベースの業務フローは残存し、改善の余地は大きい。コロナという外圧を経ても、なお、業務改革が進まないのはなぜだろうか。

 誤解を恐れず言えば「その方が楽だから」かもしれない。「変える」ほうが手間や面倒といったコストが生じるという発想だ。(もちろん日常業務に忙殺され、見直しに着手できないという事情もあるだろう)。

 大学のような非営利組織の賃金は、仕事の成果によって上下することはほぼなく、企業と比べ固定的である。身も蓋もない言い方をすれば、改善してもしなくても給与は一緒なのだ。

 しかし、職員は、大学で働く意義や高等教育への貢献を胸に「大学」の扉を叩いたはずだ(と勝手に推察している)。仮にそうだとすれば、大学で働く「意味」を定義し、全体で共有することによって、人材育成などのマネジメントに活用できるだろう。例えば、「なぜ大学や自分の仕事が、社会にとって必要なのか」といった数値では表せない「大学業務の意味づけ」を行い共有する。上手くいけば、組織のアイデンティティ形成に貢献し、連帯感を育むことを期待できる。様々な考えを持つ職員がいる中で、少なくとも「大学に勤める者の心構え」のような、精神的基盤を築くことはできるだろう。

 2つ目には、職員の「仕事の進め方」も影響している。課題に対して、従来の方法によって解決しようとする傾向が強い。例えば、新規業務を行う際に人員不足という問題が生じると、残業や外部委託といったこれまでの方法で解決しようとしがちだ。「業務改善」とは異なり、新しい技術や手法を使って、現状の「仕事のやり方」(紙ベースでの業務フローなど)そのものを見直す「業務改革」に取り組むことは不得手だ。

 今回、情報交換会への参加や、他大学への訪問をとおして、各大学が共通した課題を抱えていることを再認識した。大学が連携して共通の問題に取り組むメリットは大きいように思う。利益が相反する企業にとっては難しいかもしれないが、「社会の公器」と言える大学においては、連携・協力することは可能だろう。そんな場所で働くことの「意味」を確かめながら、日々の仕事に向かい合いたい。たかが「意味」、されど「意味」である。

(佐藤 琢磨)

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2025年08月01日

問いの価値

 先日、複数の大学で50年以上の勤務を終え、今年度ご退職された大学職員の講演を拝聴する機会があった。職員として心がけてきたことを、これまでの経験に乗せて披露してくださった。自分が置かれている立場を踏まえつつ、感想を述べたい。

 特に、印象深かったのは、「(職員としての自分を)問い続けた」というくだりである。そこには、惑いながら答えを求めて苦闘し続けてきた姿が浮かび上がる。正解かどうかは定かではなく、答えは時間が経過し、振り返ったのちに分かるのだろう。「職員がそこまでする必要があるのか」「教員と職員のどちらが担うべき仕事か」など、常に「いかにあるべきか」という地点から発する多様な「問い」があったことは想像に難くない。
「問う」行為の前段階においては「迷い」がある。そして、可能な限り正しいと思える解に近づくまで自問自答を繰り返す。結果は必ずしも成功に至るとは限らない。しかし、少なくとも迷いに対して「問う」という行為は、問題を単に黙認せず、仕事と自分に誠実に向き合い、一歩でも前に進めようとする肯定的な態度だったのではないだろうか。

 もう一つは、「モットー」は世代を超えて引き継がれる、という点だ。講演では、感銘を受けた先輩職員の言葉を紹介されていた。その言葉を、現場での自身の仕事における実践をとおして磨き上げてきたのだろう。今、多くの人たちを支えている「モットー」や「信念」は、年月というフィルターで選りすぐられた結果として、変化する時代を超え、紡がれ続けて今に生きている。表現上の「言葉」だけではない。実践による裏付けがあって生き残っているのだ。だからこそ、それらの言葉には重みがある。

 ただ、仕事に関するモットーで言えば、モットーを持っていること自体は必ずしも「価値」があるとは言えない。モットーをもっていてもいなくても、仕事で成果をあげれば、一定の評価は与えられる。そのため、自身のモットーが成果につながっていれば一層その価値は高まる。自分のモットーが、成果にいかに影響を与えているかについて、見直しを行うことが必要だ。

 最後に、講演者のような方々と交流することは非常に重要である。人間が体内で合成できないビタミンCを外部から摂取するように、自分自身による動機付けが難しい時は、外の力に頼る方法が効果的だ。講演では、悩みや苦しみを共有できる仲間の重要性にも言及されていた。その人たちに憧れ、そして救われたという。そのような経験は、職場というある種「閉じられた環境」から場所を移し、様々な価値観を持つ人たちが集う「オープンなコミュニティ」における交流を体験しない限り、理解するのは難しいかもしれない。人は多かれ少なかれ周囲の影響を受けてしまう存在だ。ならばその性質を上手に使い、自分を鼓舞するような「場」を持っていたい。

(佐藤 琢磨)

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2025年07月02日

今更ながら、“大学の国際化”について

 先日、「海外の大学におけるカリキュラムの国際化」を事例とし、職員の高度化について考える研究会に参加した。大学が国際化を進める上での課題や対策が共有され、あらためて国際化について考える機会となった。10年間行われたスーパーグローバル大学創生支援事業(SGU)を踏まえ「大学の国際化」に関して雑感を述べたい。

 講演では、研究成果を踏まえ「国際化には戦略の明確な理解と共有が重要」であるという報告がなされた。一方、参加者からは、「カリキュラムの国際化にあたり、他部局や上層部の理解や協力を得ることが難しい」といった声も聞かれた。本学でも、SGUの一環で、すべての授業を英語で行う学位プログラムを導入した際、学内表示を日英併記とすることや、様々な窓口で英語対応可能な環境整備などに労を費やした。当時、学内各所からは「英語対応できない」「手間を割けない」などの声が上がった。国際化には、支出や手間といった「コスト」がかかる。プログラム導入のメリットや意義が全員に「分かりやすく」「共有」がなされていなければ、組織の「インセンティブ」には繋がりにくい。

そもそも、大学にとって「国際化」を行う目的とは何か。主として「留学生の受け入れにより、教育に多様性をもたらす」ことや「海外大学との連携により教育研究の質を高める」こと等だろう。また、日本にとっては、他国と共存し、発展するために不可欠なアプローチだ。特に、グローバル化の影響で、経済をはじめ国家間の依存度が高まり、日本だけでは解決が難しい問題も生じている現状を鑑みればなおさらだ。

 国際化の主な指標と言われる「留学生数」や「英語による授業数」などは、ある意味目的を達成するための「手段」と言える。なぜなら、これらの数値を高めたとしても、日本人と外国人の交流機会が乏しければ「多様性」に触れ合う機会を得られず、国際化の目的を果たすことができないからだ。目的を果たすためには、教育や研究においてそれらを活かす仕組みをどのように整備するかという点が重要となる。

 外国人学生や教員を呼び込む際、まず何が「売り」になるか考える。日本の企業に就職する日本人にとっては、日本の大学で学ぶことはメリットとなるだろう。一方、外国人にとって、日本の大学で学ぶことが、どれほど本人たちの市場価値を高めることに繋がるだろうか。

 わが国が長い間、取り組んでいる「大学教育の質を担保する」という構造的な問題を改善し、外国人にとっても日本で学ぶ価値のある教育内容やシステムを提供しない限り、日本の場合、留学生を増やすには限度があるのではないだろうか。国が旗を振って取り組んでいるにも関わらず、一向に変わらない理由は、実は、私たち自身が困っていないことの証左かもしれない。

(佐藤 琢磨)

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2025年06月04日

不協和音の処方箋

 最近、職場のメンバーの間で「もめごと」があり、トラブルを抱えているとういう話を周囲から立て続けに聞いた。メンバーの関係が悪化し、チームの機能に障害をきたしているという。業務に対する考え方の違いによる衝突が原因のようだ。

 昨今、「ハラスメント」や「コンプライアンス」「働き方改革」「インクルージョン」など様々なキーワードで象徴されるような「あらたな考え方や文化」の導入により、職場に変化が生じていることを実感している。そのような環境下で、一層留意しておきたい点は、やはり「他者との付き合い方」だ。これまで経験した人間関係の「トラブル」には、ある共通点がみられる。それは「あの人には、どうして分からないのだろう」という考えの「取り扱い方」である。

 「自分」を基準として他人を評価してしまうことは、とかくありがちだ。自分にとって「当たり前のこと」を、相手も共有していると、つい思い込んでしまう。他人が、何を考え、信じようとも、公共の福祉に反しない限り、それは他人の自由だ。この自由は、憲法において条文で明示され、保障されている。学校で、憲法を暗記させられたように、私たちは「社会」で生きていく重要なルールについて、すでに教わっているはずだ。他者とのコミュニケーションにおいて、自分が他人の行動や考えに、違和感を覚えた時は、自分の基準によって否定してしまう前に「ふうん、そんな考えもあるのか」と、中立的な距離をとるのがちょうど良いのかもしれない。世の中には、自分の知らないことも沢山あるだろうし、他人の考えや行動の背後には、やんごとなき事情が潜んでいるのかもしれない。

 また、ある程度年齢を重ねた人の考え方や行動を、外発的な力で変えるのは至難の業だ。周囲ができることは、示唆を与えることやきっかけ作りであろう。変えられるとすれば、それは自分の考え方や行動のみだ。重心を「他者」から「自分」に移し替えることによって、気持ちは楽になる。これは、アドラー心理学で言われる「課題の分離」という考え方である。「今、抱えているのは自分の課題なのか、他者の課題なのか」を確認することだ。

 私たちは時代の変化への対処が遅れ、もしくは変化のスピードが早すぎて、職場で推進される「新しい考え方」に対する準備が、不十分なままなのかもしれない。例えば、「多様性」という考え方を職場で推進しようとすれば、メンバー同士がやがて軋轢を生じることは目に見えている。対話する機会を設けたり、研修を実施したりして、その「受け入れ方」や「活用」について、組織が円滑にまわるための方法を学んでおくことが必要だ。多様性を組織に取り入れる目的は、異なる視点や発想による「イノベーションの創出」だと言われる。しかし、事前の環境整備が不足していると、むしろ求心力が低下し、メンバー間の信頼関係が損なわれ、組織の基盤が揺らぐ懸念もあることを忘れてはならない。

(佐藤 琢磨)

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2025年05月07日

英国の授業料ローン制度

 前号で、高校の授業料無償化について述べた。今回は、英国(イングランド)の授業料ローン(Tuition Fee Loans)を紹介したい。有償化に踏み切った英国の事例は、今後、日本が「誰が学費を負担するのか」という問題を検討する上で、少なからず参考になるだろう。イングランドは1998年に、各大学が£1,000(約19万円)を上限に授業料を設定できる制度を導入した。2025年度からは、上限額が£9,535(約181万円)に7年ぶりに改訂される。なお、英国では、ほとんどの大学が「国立」である。

 イングランドの制度は、有体に言えば「出世払い」だ。返済金は、卒業後、収入が£25,000(約475万円)程度となってはじめて、給与から天引きされる(英国の物価は、日本より高い)。返済額は、月収の9%とされている。ローンを管理するSLC(Student Loan Company)のウエブサイトでは、プラン1に加入し(複数のプランが準備されている)、年収が£33,000(627万)となった場合等の事例が紹介されている。まず、月収£2,750/約52万)から定められた基準額である£2,172 (約41万)を差し引く。差が£578(約11万)となり、このうちの9%にあたる£52.02(約9,900円)が月々の返済額となる。利率は、小売物価指数によって変動する。現在は4.3%だ。

 なお、「貸与プラン」にもよるが、返済開始予定日から30年経過するか、65歳に達した場合は、借入金が全額免除となる。すべての学生を対象としており、世帯の所得制限等はない。なお、上記以外に、「生活費ローン(Maintenance Loan)」も用意されている。これらの制度により、イングランドでは、「授業料を払えないため大学進学を諦める」問題に対し、機会の平等を担保しようとしている。その特徴は、返済額が、借入金ではなく、「未来の収入」に応じて決定される「所得連動型」である点だろう。もう一つは、収入が規定額に達しなければ、一定の条件下で、借入金が免除される点だ。

 英国と違い、日本には、私大が多く存在し、73.8%の学生は、私大に通っている。(令和6年度学校基本調査)。「授業料を誰が負担するか」という議論では、必ずといっていいほど、「国立と私立の扱い」が論点となる。望ましいあり方を議論することは重要だが、私大に教育を依存してきた歴史と現状を基盤において、議論に臨むことが重要だろう。なお、日本でも、大学院修士相当過程の入学者を対象として、昨秋から「授業料後払い制度」が導入されている。国公立は、535,800円、私立は776,000円を上限として貸与する。その後は、イングランドのように、年収が300万円程度になるまでは毎月2,000円返済する仕組みだ。「大学の授業料無償化」の動きは、学部課程にも広がっていくだろうか、今後の動向に注目したい。

(佐藤 琢磨)

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