2020年12月04日

「じゃまオジ」の矜持は「じゃまオジ」であり続けることだ!

 「じゃまオジ」これで裏巻頭言を書けという、相も変らぬ真義先生の無茶振り。どうやって話を繋げて行こうか…、思案しながら窓の外に目をやれば雀と目が合う。半端な田舎に居住する住民のあるあるな光景である。

 「じゃまオジ」何のことだか皆目見当もつかない読者も多いだろう。先日行われた例会ではとある年配の方が自虐的に(?)チャットに書き記したものである。個人的には洒落た表現で好きなのだが、例会中にはそこから話が膨らむことはなかった。

 「じゃまオジ」と聞いて、若者はどんなイメージを抱くだろうか。モードに追いつけない鈍感な人、追いつけないから仕事の足を引っ張りかねない人、仕事の足を引っ張ったことを叱責されて逆ギレする人…、こんなイメージを持つかもしれない。もしかしたら、おじさんにはない感性を持つ若者からは「かわいい〜」と言われるかもしれない。どう思われても仕方ない、どのイメージも中年以上の実態の一面を的確に表しているからだ。

 若者から見て、些か目障りに映る年長者はいつの時代にも存在していた。「じゃまオジ」とは全く違うニュアンスだろうが「頑固オヤジ」が最も近い表現だろう。逆に、年長者からは「今時の若者は…」なんて発言が太古から脈々と受け継がれてきた。こうした年長者と若者との間のギャップ(時代の認識の仕方とそれに対する対処の仕方の違いに代表できるだろう)は解消されることは決してなく、その意味で、我々は一歩も進歩していないと言えるのかもしれない。

 ある視点からカテゴリー化される事象に我々は「名前」を付けた。事象に名前を付けるのはそこに何らかの意味を付与する必要があるからである。それで行けば、ある視点でカテゴリー化された年長者を「じゃまオジ」と呼ぶのは、そうする必要があるからである。その必要とは何か? 世知辛い今の時流で行けば集団の中からやんわり排除する目的であろうか。ただ、悲しいかな、個人・組織にとって都合の悪いものを排除した世界が持続するわけがない。排除した残りの中から漏れなく邪魔者が生産されるからである。

 排除しようとしても排除し切れないし、仮に排除出来たところで時が経てば必ず生産される。しかも、今度は自分が排除される側に回るかもしれない(いや、必ず回る)。

 であるならば、「じゃまオジ」と自虐する暇があるのなら、その道を究めてしまうというのも面白い。自分が如何に「じゃまオジ」であるかを若者に見せる事で、若者が「じゃまオジ」になった際の在り様を教えるのである。「じゃまオジ」の矜持、ここに極まれり!

(中村 勝之)

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エプロン・ミシンの逆襲

 先日某クッキングスタジオの体験レッスンに参加、久しぶりにエプロンをつけたのがきっかけで目に留まった。日本経済新聞2020年11月26日「ヒットのクスリ(中村直文編集委員)」によると、アパレルのJUNが運営するブランド「サロン アダム エ ロペ」が、料理雑誌の「オレンジページ」やフィギュアスケーターの浅田真央さんとコラボしてエプロンを発売する。今秋、小学館のウェブマガジン「kufura(クフラ)」にエプロン特集があり、「料理をするとき、エプロンをつけますか?」とのアンケートに62.2%がつけないと回答。つけたり、つけなかったりが20.6%、そしてつけるが17.2%だった。つけない理由は「めんどくさい」「洗濯物が増える」「服が汚れても構わない」「そもそも持っていない」だった。一方で使う理由を聞くと「体形隠しになる」「携帯をポケットに入れられる」など市場再発掘の可能性も感じる。サロン アダム エ ロペによると、「外につけていけるファッション性もある。テレワークで自宅に長くいるので気持ちの切り替えにもつなげられる」という。実はエプロン、男性需要も増えているそうである。

 同様に市場が縮小していたミシンも需要が上向いている。最大手の蛇の目ミシン工業では1970年代に国内だけで年間50万台近くが売れ「一家に一台」といわれていたが、近年は20万台を割っていたという。ところが外出自粛や手作りマスクを作るための需要が発生。今年度は上期で既に昨年度の販売実績に並んでいる。同社は外出制限が終われば需要が落ちると見ていたが、巣ごもり生活は根付き好調を続けているという。5万円程度の
商品が売れ筋とのこと。

 エプロン、ミシンと昭和の「オワコン」が復権、近年不振が続く総合スーパーも回復傾向になる。代表格のイトーヨーカ堂にどんなオワコンが売れているかと聞くと「ミシンは昨年の2倍お売れ行き。他にはジグソーパズルが3倍、ボードゲームは2倍の伸び」と景気のいい話が返ってきた。ちなみにヨーカ堂はオワコンブームに乗り、創業100周年に合わせて「イトーヨーカドー限定 人生ゲーム」を12月1日から販売する。「1972年、ハトマークのロゴ誕生」などのマスをちりばめたのが特徴である。

 松屋銀座店では新・生活様式をうたい、「ぬか漬け」の道具と動画を扱う。コロナを機に様々なデジタルサービスが広がったが、生活を深堀りする消費者行動はアナログでも新市場を創造と位置づける。大学も「オワコン」から新しい業態、自己変革のときが来ていると感じた。

(宮本 輝)

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2020年11月21日

FMICS 11月例会(第732回例会) デジタル時代に求められる文系の感性 〜 文系デジタル人材をいかに育てるか 〜

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 いよいよ、デジタル時代を活きることが、リアルな今になります。国は、行政改革の成長戦略の柱に据える恒久的組織としてのデジタル庁を新設します。
 コロナ禍のもと、我が国は、世界のデジタル時代の波に乗り遅れていたことが、白日の下に晒されてしまいました。理系デジタル人材養成が、声高に叫ばれています。一方、文系のデジタル感性のある人材養成については、今ひとつカタチが見えません。最新のテクノロジーを文系の感性を用いて縦横無尽に操ることができる文系人材の養成も急がなければなりません。
 少なくない文系大学は、数学・統計学、プログラミング系科目、データ分析科目などのカリキュラムの見直し、企業などとの連携を深めながら、情報系大学に生まれ変ろうとしています。
 時代の変わりゆくスピードは、日進月歩をはるかに越えています。今月は、文系人材と理系人材の強みと足りないことを整理し、デジタル時代を活き抜くための人材養成のカタチについて多面的多層的に語りあいます。
 
 問題提起のお三方には、基本の「き」として、私たちは、何をしたら良いのかを考えるためのヒントを提言していただきます。
 コメンテーターには、学生、大学人、企業人、多彩なお立場の皆さまから一言をいただきます。
 ブレイクアウトセッションには、登壇者の皆さまにもメンバーに加わっていただきます。ワイワイガヤガヤ、積極的に意見を交換していただき、問題点を掘り下げます。
 皆さまには、お仲間、学びの主役の学生さんにもお声かけいただき、ご参加くださいますようお願いいたします。

 野村さまからのメッセージです。
■データサイエンス教育やAI産学連携で見えてきた企業と大学のギャップ
 ここ3年の間で、データサイエンスやAIという分野で大学と企業との連携が数多く行われてきました。しかし、双方とも満足した結果を得られている例は少なく様々な課題が浮き彫りになってき
ています。
 最も大きいのは、データサイエンスやAIという葉だけが先行し、双方ともに教育に期待する方向にギャップがあり、ここを十分に協議しないままにスタートした失敗例が多いようです。この事例を提示し、今後はどのように取り組めば良いのかを皆様とともに考えたいと思っています。
 また、文系AI人材という言葉が出てきましたが、
私には、この言葉の意味がピントきません。
 そもそも、AIが社会に浸透していく中で、なぜ文系、理系を分けて議論する必要があるのかがわかりません。
 従って、私としては今後のデータサイエンスやAIが使われる社会の中で企業としてどのような人材を必要としているかに論点を絞ってお話したいと思います。

 長谷川克也さまからのメッセージ
■「デジタル社会って何?」
 世の中をデジタルという言葉が走り回っていますが、世間ではデジタルという言葉をどんな意味で使っているのかが私にはピンときません。もちろん「数学的、工学的」な意味は十分理解しています。しかし、世の中の人が言うデジタルはもちろん「それ」ではないことは当然です。そうでなければ「デジタル庁」なんて名前の役所ができるわけはありません。
 急速に発展したデジタルによる技術が何をもたらしたかというと、情報の在り方を変えてしまいました。ペンで書かれた原稿をもとに活字を拾って印刷した本、PCで原稿を書いてプリンターで出力した本、タブレットで表示した本は、内容が同じなら情報は全く同じものです。情報自体には重さはないのですが情報伝達が物理的である以上そこに重み(資源)が発生してしまいます。社会にとって情報の重要さは今も昔も変わりませんがデジタルは高速大容量通信や大容量記憶装置のおかげで情報伝達の物理的重みを取り去ってしまい、情報を扱うためのリソースを激減させ重圧を取り除いてくれるようになりました。
 会えて文理の役割分担を示せば、デジタル社会の基盤を維持するのは理系なのかもしれませんが、それを使って何かを作るのは文系の人の英知だと思います。

 中村勝也さまからのメッセージ
■歴史に萌えろ!
 理系は人間を含んだいわゆる「自然」を研究対象にしています。そして、研究を進めるうえで「数学」なり「データ」は強力な*道具*として操っています。そこで蓄積された脳は文系にも流入し、いまや、数学とは無縁と思われていた思想系にも数学を取り込むことがトレンドの1つになっ
ています。ただ、現在はまだ過渡期なのでしょう。さまざまなレベルで文系分野で数学を操る手法に一種の「拒絶反応」が生じています。AIへの反応もこの1つと捉えることができるかもしれません。
本当の所を言えば、文系も理系も究極的に目指しているものは同じです。一言で言えば(人間存在を含んだ)森羅万象の理解です。文系と理系の相互交流を進めるためには互いの分野がどういうアプローチをしているのか、ここを知る必要があります。それを知るためには、森羅万象の「歴史」を知ることです。およそすべての学問に未来予測をすることができませんが、過去を知ることで未来を指向して現在を生きる、そのヒントが歴史に刻まれています。そんな話をコンパクトにできれば…と思います。

【 参 考 図 書 】
●安宅和人 『シン・ニホン』 NEWS PICKS 2020.2.20 2400円
●野口竜司 『文系AI人材になる』 東洋経済新報社 2020.1 1600円
●藤井保文・尾原和啓 『アフター・デジタル』 日経BP社 2019.3 2200円
●菅付雅信 『動物と機械から離れて』 新潮社 2019.12 2000円
●太田裕明 『AIは人類を駆逐するのか?』 幻冬舎 2020.6 800円 

【 オンライン文献 】
OECD Education 2030プロジェクトについて
未来投資会議・2020年4月12日第15回会議議事要旨
『文系AI人材になる』を要約! AIを「使いこなせる人」になるには?
AI時代の文系人材。武器にすべきは「大局観」

【日時】 2020年11月21日(土)
   研究会 午後8時〜9時30分
Breakoutsession 午後9時30分〜10時30分
   茶話会 午後10時30分〜

【使用媒体】 Zoomミーティング

【テーマ】  デジタル時代に求められる文系の感性
    〜 文系デジタル人材をいかに育てるか 〜


【問題提起】
 野村 典文 (伊藤忠テクノソリューションズ 広域・社会インフラ事業グループ担当役員付エグゼクティブ・プロデューサー / 広島大学特任教授)
 長谷川 克也 (JAXA宇宙科学研究所 研究開発員)
 中村 勝之 (桃山学院大学 経済学部教授)

【参加費】 会員1,000円(年会費を完納している場合は無料) 非会員2,000円 学生(会員・非会員問わず)500円

【申込&問合先】 yoneda(アット)fmics.org 担当:米田敬子
 参加定員 40名
 申込締切 2020年11月18日(水)
*お名前、ご所属、連絡方法、本月例会を何によってお知りになられたかをお知らせください。
*参加エントリーをいただきますと参加費の入金を確認の上、資料を送付いたします。
*当日、ミーティングへのご招待をいたします。

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2020年11月06日

言葉を紡ごう、丁寧に丁寧に

 齢を重ねるのに比例して出会う人の数も増えていきます。家族、友達、先輩、後輩、担任、上司、顧客、…。出会った人達をその時々の環境に応じて色んな呼び方で呼称しますが、ある目線を通じて出会う人達をある程度分類する事が出来ます。もちろん、これは君自身の目線に忠実であるのが大事で、そこに客観性を持たせる必要はありません。で、それは何かと言うと、言葉の「紡ぎ方」とそこに込められた「想い」です。

 君の周りにこんな人はいませんか。「俺ってコミュ力抜群!」と言いながら場を乱すだけの人。「いざという時になったら俺はやるぜ!」と言いながら一向にやらない人。それが正当であれば本人の前で堂々と言えばいいのに、本人の見えない所で文句ばかり言う人。「それはおかしい!もっとこうするべきだ!」に対して「じゃぁ、ここに来てやってみる?」と返されて尻込みする人。事例を挙げたらきりがありませんが、こうした人達のことをカッコよく表現して【言動不一致】な人と総称することにしましょう。

 では、上で挙げた【言動不一致】な人はどこが一致してないのでしょうか。たとえば、コミュ力抜群と豪語する人はコミュニケーション本来の意味合いを間違って把握しています。コミュ力は「人前で喋る能力」と把握されがちですが、言葉とは元来それを発する人と受け取る人相互の了解の上で成り立つ「道具」です。受け取る人から発せられる言葉の意味、敢えてここでは「想い」と表現しておきますが、それをキャッチできなければコミュニケーションは成立しません。そして、その場に適した言葉を駆使、敢えてここでは「紡ぐ」と表現しておきますが、紡ぎ方を知らない者が言葉をやり取りした所で場を乱すだけです。それすら分からず、俺様ばりに「コミュ力抜群!」と豪語できる人…、痛くないですか? 俺様で言えば、「やる時はやるぜ!」と豪語する人も痛い奴と判断できます。俺様は発言した状況で「やるべき事」は何となく把握していると思われます。ですが、その「やるべき事」の期限がいつで、完成するまでにどれ位の時間を要するのか。完成物の精度はどれ位か。そこまで把握しているのでしょうか、俺様は。 内実や本音まで的確に把握して、その「想い」を言葉として的確に「紡ぐ」ならば、俺様は俺様発言などしないはずです。つまり、自らの率直な「想い」とそれを方明するために「紡いだ」言葉が一致しない、そういう人達のことを【言動不一致】な人と言っていいのかもしれません。

 ただ、上で述べた【言動不一致】な人の例外は幾つも見ることができます。たとえば、誰もが知っている某アスリート。誰が見ても日々努力を惜しんでないはずなのに、アスリート本人は「努力などしていない」と言ってはばからない。彼(彼女)からすると、自ら満足する成果を得るために集中している取り組む様、これを「努力」という言葉で表現しないのでしょう。別言すると、成果を残したいという「想い」を自分なりに「紡いだ」言葉が世間で流通している物ではないのでしょう。彼らからすると【言動一致】させた振舞いをしているにもかかわらず、第三者には【言動不一致】に見えてしまう…こんな感じでしょうか。

 私が同時代を生きる若者に望む事はただ1つ、自分の「想い」に寄り添った言葉を「紡げる」人間になって欲しい。これだけです。ただ、これを自分の内から実感するには、君の思うよりも相当長い時間を要するはずです。その間、勉強だって、恋愛だって、好きな事だって、嫌な仕事だって沢山の事柄を経験するはずですし、それを経ずして丁寧な言葉の「紡ぎ」出しは出来ません。そして、それがある程度自在に出来るようになって初めて〈無駄な経験など1つもない〉と実感できるはずです。

 経験したことが無駄だった…なんて思いたくないでしょ。ならば、色んな経験をして丁寧な言葉を「紡いで」行こうよ。

(中村 勝之)

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盲導犬幸せやのに

 「世間の誤解にほえさせてもらいますわ」。信号待ちの犬が突然、関西弁で話し始める。7月にスタートした日本盲導犬協会のテレビCMの一コマ。盲導犬へのネガティブなイメージに対して、自らが思いを語るユニークな設定で話題を呼ぶ一方、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)などでは「犬の気持ちが分かるの?」と疑問の声も上がる。(2020年10月17日毎日新聞より

 視覚障害者とともに交差点で信号待ちをしている際、周囲から「盲導犬って大変そうだよね」「ストレス多そう」「かわいそう」とささやく声が聞こえてくる。それに気づいた盲導犬がふっと振り向き、「うちら、いつでも一緒におんのが幸せや思てんのに。そんなん言われたら、相方も悲しむわ」と一蹴。最後は「どうか、そんな目で見んといてえや。ほんまに、お願いしますわ。ほな、行こか」と立ち去る。

 CMはACジャパン支援キャンペーンとして制作。日本盲導犬協会は、「かわいそう」など盲導犬に同情するような何気ない言葉が長年にわたり視覚障害者を傷つけてきたとし、CMでは親近感を持ちながら互いの関係を正しく理解してもらおうと犬自身が語りかけるスタイルを採用。

 日本盲導犬協会は「誤解」が生じる背景に、視覚障害者は十分に盲導犬をケアできないのではという疑念が根強く残っていることを一因に挙げる。実際には視覚障害者は4週間にわたってパートナーとなる犬とトレーニングを積む。歩行だけではなく、餌やりや排せつといった犬の世話の仕方など、共同生活に向けて信頼関係を構築している。

 さらに盲導犬への理解を巡って関係者の頭を悩ませているのが施設や店舗への相次ぐ受け入れ拒否の問題。02年に施行された身体障害者補助犬法は、補助犬を伴う使用者を公共施設や飲食店などで受け入れることを義務づけている。

 視覚障害者への理解が進まない中で今年は「世間の誤解を解く」をテーマに全国の広告会社から58案が集まり、犬を主人公に自らの口で偏見解消をアピールした作品を採用した。全国の駅で掲示されるポスターなども作製、狙い目通り過去に比べ反響は大きいとのこと。

 現在盲導犬は900頭余りが全国で活躍中。ポスターの盲導犬は「みなさん、盲導犬の僕のこと、どのように見ています?」と投げかける。人気漫画「ワンピース」が少年ジャンプ編集部内で連載に反対意見が多かったのは有名な話だそうで、最近の名せりふは「異形を恐れるは己の無知ゆえ」。

(宮本 輝)

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2020年10月24日

FMICS 10月例会(第731回例会) 大学入試改革とコロナ禍 〜 高校と大学の間にただよう★もやもや★はなぜ生まれるのだろう 〜

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 大学と高校はしっかり連携すべきなのにお互いが分かっていないというか、理解しようとしていないのかと思わざるを得ません。大学と高校関係者が同じ場にたっても、何だか越えがたい★モヤモヤ★があるのは、なぜなのでしょうか。

 10月例会のキーワードは★モヤモヤ★です。

 大学と高校はしっかりと連携すべきにもかかわらず、お互いが分かっていないというか、理解しようとしていないのかと思わざるを得ません。大学と高校関係者が同じ場に立っても、何だか越えがたい★モヤモヤ★があるのは、なぜなのでしょうか。皆さまには、おおいに★モヤモヤ★を語っていただきます。ブレイクアウトセッションは、大いに盛り上がることでしょう。

 倉部史記さまからのメッセージです。
 大学卒業時には学士号が授与されますが、そこに併記される専攻名の表記は現在700種類以上。うち6割は特定の1大学にしか存在しません。大学側は独創的な学部をつくる度に「この学科に合う生徒さんにぜひ先生からご案内を」と高校訪問でPRしますが、これではもう不可能です。大学側の施策が高校側に与える影響を、大学関係者はどこまで意識しているでしょうか。
 望まぬ留年や中退に追い込まれる大学生は年々増加。標準年限卒業率が5割を切る大学や学部もあります。しかしその事実を高校側はまったく知りません。進路指導協議会で地元大学のデータを紹介すると、会場の先生方が「初耳だ」と驚きます。生徒・学生のために一番大事なことは、共有できていないのです。
 大学関係者はしばしば、高校の進路指導のあり方に対して不満を漏らします。一方で高校側も、大学側の施策や姿勢に対し、様々な疑問や不満を抱いています。お互いにモヤモヤを抱えたまま、入試を挟んで営業とお客様のような関係をいつまでも続けていて良いのでしょうか。しわ寄せを受けるのは生徒・学生です。そのモヤモヤはできるだけ早く、高大の対話によって解消してしまいましょう。今回の企画が、そのきっかけになればと思います。

【日時】 2020年10月24日(土)
   研究会 午後8時〜9時30分
Breakoutsession 午後9時30分〜10時30分
   茶話会 午後10時30分〜

【使用媒体】 Zoomミーティング

【テーマ】 大学入試改革とコロナ禍
   〜 高校と大学の間にただよう★もやもや★はなぜ生まれるのだろう 〜


【問題提起】
 倉部 史記 (進路づくりの講師、高大共創コーディネーター)

【高校からの報告】
 黒沼 靖史 (聖徳大学付属女子中高教諭)
 安田 馨 (安田女子中学高等学校校長補佐)
 椿 仁三千 (千葉県立小金高等学校教諭)
 坂詰 貴司 (芝中学高校教諭)

【コメンテーター】
 出光 直樹 (横浜市立大学アドミッション課専門職・学務准教授 / 元桜美林大学大学アドミニストレーション 研究科非常勤講師)
 一円 尚 (日本橋女学館中学高等学校校長)

【参加費】 会員1,000円(年会費を完納している場合は無料) 非会員2,000円 学生(会員・非会員問わず)500円

【申込&問合先】 yoneda(アット)fmics.org 担当:米田敬子
 参加定員 40名
 申込締切 2020年10月21日(水)
*お名前、ご所属、連絡方法、本月例会を何によってお知りになられたかをお知らせください。
*参加エントリーをいただきますと参加費の入金を確認の上、資料を送付いたします。
*当日、ミーティングへのご招待をいたします。

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2020年10月06日

「ひらめく」タイミングは、どこにでも転がっている!

 例会のテーマから容易に話が逸れるFMICS、それ自体は今の時代が方向性を見失っている事を物語っている。そんな現状をまるッと包み込みつつ無茶振り全開の高橋真義先生が代表を務めるFMICS、それを見て「まだ老け込んではいられない」と思いを強くする参加者たち。その中に、真義先生の無茶振りに忠実に応えようと筆を走らせる私がいる。

 さて、今回も真義先生から本欄のお題を頂戴した。それが「ひらめき」である。この言葉は例会後の茶話会(?)の席上で偶々出たもので、それを真義先生が確実に拾い上げつつ広げるだけ広げて、着地点が見出せそうなタイミングで「じゃぁ、かっちゃん。今回の裏巻頭言のネタはこれで」とのたまう真義先生。ここまで読んで噴き出した皆さん、立派なFMICSメンバーですな(笑)

 これで場は和んだだろう。ここから本欄の主題である「ひらめき」について考えてみよう。何かを考えている時にふと思いつく場面に遭遇した経験は誰しも1度はあるだろう。茶話会ではそのタイミングについての話題になった。「風呂に入っている時」「トイレに入っている時」「目覚めた時」「皿洗いしている時」こんな感じの事例だったと記憶している。ただ、こうした事例を列挙するほどに、勘違いする人達が存在する。

『〜すればひらめくんですか?』

 …それは違うだろう。風呂やトイレに入るのは何らかの欲求を満たしたいから。目覚める前の段階では寝ている状態だが、さらにその前段階には「眠たい」という睡眠欲求がある。皿洗いをするのは使ったものを綺麗にして清潔を保ちたいから。人の行動は何らかの欲求充足を目的で為されるが、上記事例から「ひらめき」を期待して為した行動はほとんどないことに気づく。つまり、特定の行動で「ひらめき」を導くことはほぼない(あっても稀だろう)という事である。

 この指摘を逆から見れば、人のあらゆる行動の中に「ひらめき」を導く物が含まれているという事である。こう書いてしまうとキョロキョロ「ひらめき」を探してしまいそうだが、それは必要ない。いや、必要かもしれないが「ひらめき」を意識しない方がいいだろう。

 それはどういう事か? ここを考える起点として、茶話会でも発言のあった〈考えないと「ひらめ」かないよ〉から話を転がしてみよう。「ひらめき」とはある課題の解決のきっかけというニュアンスがあるだろう。無論、課題解決のためには「考える」という行動を為しているが、「ひらめき」の前段階で「考える」がなければならないという事を上記発言は意味している。一方、課題解決が困難に見えるほど「考える」事に日常が支配されがちになるが、我々が人間である限り、日常の中に基本的欲求があるのも確かである。ここを満たさなければ「考える」事すらおぼつかなくなる。そのため、一旦「考える」事を保留して基本的欲求を充足するための行動に切り替える。そう、この行動の【切り替え】、私なりの表現で表せば【目線を変える】事こそが、「ひらめき」のきっかけになるのである。上記「ひらめき」のきっかけの行動で共通している事、それが行動の【切り替え】であり、「考える」事から基本的欲求充足に【目線を変える】事であり、これが茶話会の折に私が若者達に発した質問に対する模範解答である。

 無論、私の提示した模範解答が唯一のものではないし、内実は同じであってもその表現は大いに異なりうる。「ひらめき」のきっかけに限らず大事なのは、試行錯誤を通じて自分の納得する物を見出すこと、それを自分の納得した言葉で表現する事である。君達が数年後にそれを見出せたのであれば、その後の人生において他人の言葉や裏切りに傷つく程度もグッと低くなるだろう。自分で納得した上で発したものなら、仮に他人に理解されなくても「そうなのね」で終了できて、深く悩まなくていいからである。「ひらめき」を起点にあれこれ語ってきたが、行動の【切り替え】や【目線を変える】事はかように重要なのである。

(中村 勝之)

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果たしたい約束

 2020年10月3日(土)日本経済新聞オピニオン面(コメンテーター・上杉素直氏)で損害保険大手のSOMPOホールディングスが今年夏に始めた働き方改革の一環を取り上げ、社員の人生と組織の成長をいかにうまくつなげていくかというテーマにコメントしていた。社員一人ひとりに「あなたの使命は何ですか?」と人生観を正面から問いかけるユニークな試み。コロナ禍による就労環境の激変を奇貨として、桜田謙悟社長がかねてから温めてきた構想を実行に移したとのこと。

 SOMPOが取り入れたのはマイ・ミッションという耳慣れない概念。業務上の目標ではなく、あくまでその人が生涯かけて目指す何かを指す。「日本社会や企業に新しい価値やインパクトを与えていく」など。研修をのぞくと「Zoom(ズーム)」で集まったのは持ち株会社の管理職たち。まずは部長陣が外部講師の助けを借りて自分の人生を見つめ直し、マイ・ミッション・ステートメントを作ってみる。心が動かされるWANT(ウォント)、社会で果たすべき責務のMUST(マスト)、運命が与えた能力のCAN(キャン)。3つの切り口から自分を洗い出し、人生の使命を定義していく。

 部長は、自分のマイ・ミッションを作った経験を生かし、部下のマイ・ミッションづくりに携わる。部下のものの考え方や強みを面談で引き出したうえで、チームの業務を進める中で適切な役割を見つけ出す。この人間対人間のやり取りを促すプロセスこそ、リモートワークであっても結びつきの強いチームを築く土台になる。「仕事帰りに一杯やりながら語り合うノミニケーションの代わりみたいだ」と感じる人もいたそうだ。

 SOMPOが社員への福利厚生や社会活動として個人の使命探しを手伝っているわけではない。桜田社長は約8万人のグループ社員に宛てて8月に発信したメッセージで、働き方改革に取り組む理由に「圧倒的な生産性を発揮し続ける」ことを挙げていた。使命に基づくから高い生産性を発揮し「続ける」のが可能になる。SOMPOが出した答えである。

 朝日新聞「経済気象台」(9月29日(火))ではコピーライター・岩崎俊一氏(2014年67歳逝去)が1993年にセゾン生命保険で使われたコピー「仕事の約束は誰でも守る。遊びの約束をすぐ破ってしまう人が私はさびしい」を紹介し、このところ知人友人とのメールを「コロナ禍が落ち着いたらぜひお会いしましょう。楽しみにしています」と結ぶことが多く、約束は果たしたいとしていた。学生の学び、マイ・ミッションづくりを止めない約束を果たしていきたい。

(宮本 輝)

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2020年09月26日

FMICS 9月例会(第730回例会) 大学淘汰の波に勝つキャンパス・ファシリティ: ポストコロナ 大学経営とキャンパスの変革が不可避な時代へ!

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 キャンパス・ファシリティについては、これまで2017年8月例会と2018年12月例会で取り上げました。今月は、コロナ禍により、大きく変容せざるを得ない大学経営をキャンパス・ファシリティの視座に立って整理いたします。

 経営サイド、教育サイドの関係者には、共に、必要不可欠な検討課題です。是非ご参加ください。

 興津利継さまからのメッセージです。
■ポストコロナと書いて
 『長期の経済停滞と財政危機』と読む
■コロナ禍は「前例主義を払拭し
 時代変化に合わせる」絶好のチャンスだ
■各要素のOn/Offバランスを見直し
 自校に適したキャンパス像を描く

 コロナ禍は来年後半には影を潜めるだろうが、経済そして国の財政に与える打撃は計り知れない。もう少し先と考えていた入学者数減少も、進学率が下がればより早く出現するし、無償化の動きも鈍化するだろう。低空飛行を続ける大学経営には大打撃である。
 ファシリティは建物だけではなく、事業・活動を支える物理的要素の全てであり、人件費に次ぐ2番目の支出要素。活動の内容や構成が変われば必要な器も仕掛けも変わらなくてはならないが、建物という器の寿命は非常に長い。“過去に倣った施設計画”から脱却し、将来変化を十二分に踏まえた計画と実践が避けて通れない時代に既になっている。
 まずは変容すべき大学像に光を当てたい。建学の精神に照らしつつ、人口・社会・技術の変化を真摯に受け止め、社会人を育てる役割に焦点を当てて包括的に検討してみることが必要だ。これまでの研究領域・専門を軸にした改善、既存事務組織の枠組みや所属部署内でPDCAを回すことが包括的検討の答えになるとは考えられない。
 これまでの常識を疑い、真剣に将来のあるべき姿を考えることが重要だ。そうすれば、それを支えるキャンパス・ファシリティの変容像も見えてくるだろう。
 それが見えてきた時に、変容すべき姿にどのように近づけていくのか? 成功事例など皆無に近いが、FMICSの場で様々な意見を出し合うことによって、仮説の糸口を見つけられるようになることを望む。

【日時】 2020年9月26日(土)
   研究会 午後8時〜9時30分
Breakoutsession 午後9時30分〜10時30分

【使用媒体】 Zoomミーティング

【テーマ】 ポストコロナ 大学とキャンパスはどう変わるべきか
   〜 キャンパス・ファシリティの変容像を見据えて 〜


【問題提起】
  興津 利継 (竹中工務店 / 元桜美林大学大学アドミニストレーション研究科非常勤講師)
 コメンテーター
  原田 健 (学校法人千葉学園経営企画室担当課長)
  西原 裕貴 (慶応義塾大学 湘南藤沢事務室学事担当課長)
  小西 英行 (多摩大学経営情報学部教授)
  中村 勝之 (桃山学院大学 経済学部教授)

【参加費】 会員1,000円(年会費を完納している場合は無料) 非会員2,000円 学生(会員・非会員問わず)500円

【申込&問合先】 yoneda(アット)fmics.org 担当:米田敬子
 参加定員 40名
 申込締切 2020年9月23日(水)
*お名前、ご所属、連絡方法、本月例会を何によってお知りになられたかをお知らせください。
*参加エントリーをいただきますと参加費の入金を確認の上、資料を送付いたします。
*当日、Zoomミーティングへのご招待をいたします。

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2020年09月16日

FMICS流行語大賞ノミネート作品紹介?

アリ社会(コロニー)の詳細の観察から、いわゆる2:6:2の法則や2:8の法則等が主張され、同じ社会的生物である我々に対しても似た分類が適応できるとの主張がある。アリと違って人間は社会全体を対象にした実験が本質的にできないので、我々を2:6:2なり2:8に分類する科学的根拠は乏しい面はある。だが、個々のつたない人生経験を通じて、2:6:2なり2:8という分類はあながち間違っていないという実感があるのも確かである。

 複数の人間の集まるおよそあらゆる組織において、アグレッシブに活動している訳ではないが現実逃避をしている訳でもない階層が存在し、彼らが人間社会の主要層を占めるのはほぼ間違いなく、教育現場における諸課題の大半がこの主要層に関する事項なのもほぼ間違いない。ここでいう主要層を先月例会の文脈に即して「真ん中」と呼ぶが、しかしながら、それが必ず「悲劇」的状況を招く訳ではない。期せずして私の発した「真ん中の悲劇」という言葉が表題の如く今年のFMICS流行語大賞の有力候補になってしまったが、私としてはそこまで汎用性のある表現だと思っていない。その事をここで明らかにしようと思う。

 教育機関をあたかも人間の如く捉え、そこの偏差値、研究成果の認知度、教育実践の充実度等をトータルな「ブランド力」と表現するならば、その力の相違を通じて、各教育機関を2:6:2に大体分類する事ができる。ここで問題になるのは「真ん中」の6であるが、「真ん中」のうちどのpositionにいるのかで状況は相当異なるのは言うまでもない。以下は、大学を念頭に話を進めていく。

 たとえば、「上の2」の境界付近にいる「真ん中」は上の間隙を突こうと虎視眈々と狙っているはずである。間隙が容易に見出せないようであれば無理矢理にでもこじ開けようとするだろう。ただ、そのenergyは組織を構成する教職員・学生から湧き出るものではなく、組織の中で権力や財源を握る層に依存するケースが多いかもしれない。無論、間隙を突くenergyの源泉の1つには、放置すれば今あるpositionから没落してしまう事に対
する「恐れ」があるかもしれない。一方、「下の2」の境界付近にいる「真ん中」は今あるpositionから没落する可能性に対する「恐れ」が相当あるかもしれない。「下の2」の境界付近にある「真ん中」は総じて財政力に乏しい組織が多く、没落はそのまま組織解体につながりかねない。その意味では、最低限今のpositionを維持するためのenergyは組織全体に共有されやすい環境であるのかもしれない。

 ここで重要なことは、組織において強烈な「危機感」が存在するかどうかである。財政力のある大学ではそれこそ「危機意識」と「権力」をかざすことで、ともすれば怠惰な教員を(強制的に)動員することができるし、「危機感」を共有する教職員を集約することもできる。財政力の乏しい大学では没落することの「危機感」が怠惰な教員をも勤勉に変える。こう考えるとき、「上の2」から一定の距離がありつつも「下の2」からも一定の距離のある「真」の「真ん中」に位置する大学には「危機感」が希薄になる傾向にあるのは容易に想像つく。今のpositionを上げようとenergyを投入したところで分厚い壁の前に、そのenergyは持続しない傾向にある。これは上を目指す受験生がそれなりに流入する「ポタポタ効果」の恩恵を享受することでも強化される。この「ポタポタ効果」を享受できる限り、(表現は申し訳ないが)下層受験生の「上澄み」を排除することもできてしまう。変な話、「真の真ん中」の大学は各所で公表される『ランキング』の欄外にいるケースがあるが、それが却って「ポタポタ効果」を誘発し、組織変革へのenergyを削ぐ方向に作用してしまうのである。

 つまり、表題にある「真ん中の悲劇」とは、そのpositioningによって組織変革へのenergyが削がれることがもたらす帰結のことを指すのである。無論、例外はいくらでも指摘することができよう。しかし、組織変革のenergyに乏しい集団にありがちな傾向は、ほぼ共通していると思われる。
  • 些細なことでも組織決定を経なければならないという先入観がはびこっている。別言すれば、教職員が裁量的に動こうとしてもそれを許さない雰囲気が組織に蔓延している。

  • 権力者の周囲には彼らの意に沿った人間しか配置していない。あるいは、権力者の周りに有能な部下が誰もいない。別言すれば、「隙・嫌い」を通じた人員配置が常態化している。

  • 組織変革を叫ぶ言葉が空虚であり、具体化や実行の可能性を含んだ内容になっていない。あるいは、組織変革に際していたずらにリスクを振りかざす。別言すれば、会議において「空中戦」に始終していて、それでenergyを使い果たしている。この辺りは私の大嫌いな経営理論(多摩大学の小西先生、ごめんなさい!)の教科書レベルの内容だろうが、大事なことは関係者の目線が「内向き」になっていることである。

 教職員の目線が内向き傾向である限り、そこで育つ若者の目線も内向き傾向きにならざるを得ない。それを何とも思わないくらい麻痺した教育組織、そういう所に「悲劇」は襲ってくるものである。

(中村 勝之)

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タグ:中村 勝之
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