そもそも「色」とは何か。その最も重要な条件は「光」だ。物体が光を反射し、目を通して、脳が「色」を認識しているという。そのため、光の届かない真っ暗な部屋では、色を認識できない。光には、紫から赤までの波長の異なる「色の帯」(スペクトル)が含まれており、「可視光線」と呼ばれている(人間が見ることができる光)。
「色の帯」であるスペクトルは、波長が長い順に、赤・橙・黄・緑・青・藍・紫で構成されている。波長が長い640-780ナノメートルの光は「赤」に、短い380-430ナノメートルの波長は「青っぽい紫」に見える。例えば、リンゴに光が当たっている状態では、リンゴは特定の光(赤の波長)を跳ね返し、残りの光を吸収する。跳ね返された光の波長は、網膜にある「錐体」という視細胞によって特定され、信号が脳に送られる。信号を受けた脳が、その波長の色を認識する、といった具合だ。リンゴは波長が長めの赤色を、ブドウは短めの紫を跳ね返す。そのため、リンゴは赤、ブドウは紫に「見える」という。もともと物体に色はついていない。
鳥類にはこの錐体が4つあり、人間には見えない「紫外線」を見ることができる。雌雄を区別したり餌を探したりすることに利用しているそうだ。また、色を感じ、見分ける力である「色覚」は、人種や個人、年齢、性別によって多様だ。1型から3型色覚に分けられているが、まれに4型の色覚を持っている人も確認されており、一説には通常の100倍もの色がみえるとも言われている。
ところで、冒頭の答えは「7色」である。ただし、米国や英国では6色、ドイツでは5色、と言われ、4色や3色の地域もあるという。同じモノを見ていても人間の「認識」は異なる。ややこしいのは、他人の目を借りて「確認」ができないことだ。ということは、同じ物体を見て「赤」だ、という共通の言葉で理解しあうけれども、実は、もう一人は「別な色」の物体をみて「赤」だと言っているケースを否定できない。
私たちは普段、「眼」で見える物にかなり頼っているのかもしれない。「百聞は一見に如かず」と言われるように、自分の目で確かめることの重要性は広く知られている。しかし、自身の眼で見ているものさえも「絶対」とは言い切れないようだ。「かんじんなことは、目に見えないんだよ」というあのキツネのフレーズも思い出される。他者とコミュニケーションをする際は、「想像力」を駆使し、謙虚な姿勢で臨むくらいがちょうどいいのかもしれない。
(佐藤 琢磨)

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